建築設計REPORT Vol.03
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N和室1FBF2F和室物置裏口裏口便所物置台所和館和館ボイラー室石炭室書斎家族室広間応接室寝室CL:クローゼットCLCLCLCL現状間取り図ベランダ寝室廊下寝室寝室書斎ホール玄関裏口食堂炊事室炊事室廊下便所便所浴室洗濯場和室和室暖炉no.33HOUSING IS CULTURE旧遺愛女学校はアメリカのメソジスト派キリスト教会の寄付・援助によって1882(明治15)年、函館の元町に開校。関東以北で最初のミッションスクールとして英語や音楽、聖書を基にした道徳を士族の娘に教えた。その後、学校は現在地に移転。校舎とともに旧遺愛女学校宣教師館(以下、旧宣教師館)が建設され、数名の宣教師たちの住まいとなった。旧宣教師館は下見板張りに胴蛇腹を施した異国情緒漂う外観で、南東角に八角形のせん塔が見られる。当時の北海道では札幌農学校の演武場(現・札幌市時計台)をはじめ、アメリカの建築様式の影響を受けた建物が数多く建てられたが、旧宣教師館もアメリカ出身の建築家、J.M.ガーディナーの設計であるといわれている。館内は食堂や書斎といった共有スペースと宣教師用の個室を明確に区別して配置する典型的な洋風住宅の構造である。その一方、ふすまの扉を持つクローゼットなど、和風のしつらえが見られるのは時代の雰囲気を伝えてユニークである。建設当時、周辺は広い草原で水道や電気は通じていなかった。そのため、玄関ホールや3連アーチのある広間などのあちこちにフックを付けてランプを吊り下げ、生活した。また、地階のボイラー室からラジエーターへ蒸気を送って暖房とした。食事など、暮らしを支える日本人調理師や用務員が廊下の先の和館に住んでいたが、宣教師の居住区との間に扉や階段を設け、宣教師の生活を邪魔しないように工夫されていた。旧宣教師館はその構造や意匠が優れており、保存状態も良好であることから、2001年に国の重要文化財に指定された。用語説明【胴蛇腹】 洋風建築において、壁の上部や各部を区切るための帯状の装飾。その位置により天井蛇腹、軒蛇腹、胴蛇腹という※年に3日間のみ一般公開。学校法人 遺愛学院の特別許可を得て撮影。せん塔の内部にあたる1階家族室。宣教師たちが集い、くつろいだ時間を過ごした共有スペース。暖炉には薪をくべて暖をとった2つの踊り場や装飾的な手すりがみられる階段。建築家ガーディナーらしさが伺える意匠2階の食堂。奥が炊事室で、壁の四角い小窓から料理を出した2階の炊事室。食事やお茶の時間に日本人調理師が腕をふるった調理師夫婦が暮らした和館内の和室宣教師の寝室。洋風の居室にふすまのクローゼットをしつらえてある22

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