田辺新一 氏

「快適性」と「省エネ」が両立するZEBの実現にむけて 早稲田大学 教授 工学博士 田辺 新一氏 Tanabe Shin-ichi

広報誌掲載:2015年8月

政府は、ZEB(Zero Energy Building)の普及に向け、建築外皮性能向上、高効率設備、再生可能エネルギーの利用で、一次エネルギー消費量を削減しようとしている。しかし、そのベースが我慢による省エネであれば、オフィスの生産性も上がることはない。長年、快適性と省エネルギーのバランスを研究し、ZEBのロードマップ委員長でもある田辺新一氏に、オフィスビル環境のあり方をたずねた。

人の振る舞いを理解しないと省エネは実現できない。─ 先生の専門である建築環境学とはどのようなテーマを扱われるのですか。

私は高校生の頃から人間に関わる学問が好きで、建築には人の環境を考える領域があると知り、そこに魅力を感じてこの道に進みました。そして、住宅やビルなどの中で活動する人が、快適性や健康を維持でき、働く人の生産性が上がるような環境について研究してきました。

私が修士課程の頃の日本は、数度のオイルショックを経て、エネルギー消費を最小化できる設備の開発に注力しており、快適性の研究をしている人はわずかでした。この研究はデンマークやスウェーデンなどの北欧で進んでおり、デンマーク工科大学のP.O.Fanger教授は、人体の熱負荷と人間の温冷感を結びつけた、快適性を表すPMVという評価指標を提案されていました。この指標を使うと、天井が焼けていると暑く感じるし、床が冷たいと寒く感じるなど、人の感覚が予測できるのです。このような指標を採用して、オフィスや住宅の環境を把握できないかと考えました。

私の恩師が、熱やパッシブソーラーや熱負荷計算などが専門の木村建一先生で、先ほどのFanger教授と友人でもあった縁で、私は25歳でデンマーク工科大学に留学しました。

北欧の住居環境は、当時の日本とは全く異なっていました。私が間借りしていたデンマークの住宅も築後100年は経過していましたが、断熱性能に優れていて寒くないのです。住み心地や生活の質、オフィスでは働きやすさ、という研究分野があるのだと実感しました。デンマークで刺激を受けて、日本に戻ってきて、まだメジャーではなかった快適性の研究を始めました。

「知的活動にアメニティとインテリジェンス」を追求したOFFICing─ デンマークでの研究は日本でどのように生かされたのですか。

1986年にデンマークから帰ってきて関わったプロジェクトが、パナソニック(旧松下電工)の「OFFICing」でした。当時、日本でもインテリジェントビルが登場し、オフィスの情報化が加速していました。パナソニックはオフィスの生産性を上げるためには情報化に加えて快適性が欠かせないと考えて「OFFICing」という概念を構築し、事業化を進めていました。「知的活動にアメニティとインテリジェンスを」と銘打ったコンセプトブック「OFFICingの環境学」が編集され、私は執務室における快適環境と知的生産性のパートを執筆しました。快適性というテーマは永続的なものです。古くは大正デモクラシーの頃に快適性の研究が流行っています。経済が悪くなると節約や省エネが重視されますが、景気が良くなれば快適性が追求されます。人間の快適性というテーマは普遍的なのです。

数値を基準にするのではなく、人の感覚を重視。─ オフィスにおける快適性とはどのようなことですか。

最近はCO2排出量削減などの要請もあり、節電や省エネニーズがますます高くなっていますが、私は室温を28℃に上げるのは反対です。クールビズ自体は良いのですが、室温を28℃にして我慢するのは良くないというのが私の主張です。反省エネだと各方面から反対されていましたが、最近はその内容が理解され、風向きも変わってきました。環境省も以前は「28℃設定」と記していましたが、今は「28℃以下」と書いていますし、東京都環境審議会でも「スマートな省エネ」「かしこい節電」というように表現が変化しています。

オフィスの室温は生産性を左右します。この研究を15年ほど続けていますが、因果関係が明確になってきました。

100人規模のコールセンターで1年間調査をした結果、室温が快適温度から1℃上がると、オペレータが1時間に受けることができる電話が2%ほど減りました。そして、25℃から28℃に室温が上がると、6%程度受電率が下がるのです。これは、30分の残業と同じです。室温を上げて省エネをしても、我慢して働くなら30分余計に働かなくてはいけません。オフィスの快適性を無視して電力を節約しても、労働時間が延び、その分の照明・空調電力も増えるのです。生産性と快適性には重要な関係があることがわかってきました。

経済成長と省エネが両立するデカップリングが起きている。─ オフィスを快適にしても省エネになるということですか。

これまでは経済が発展するとエネルギー消費が増えていましたが、最近見られる現象に「デカップリング」があります。それは、経済が発展しているにも関わらず、エネルギー消費やCO2排出量が比例して伸びず、逆に乖離する現象です。

デンマークなどの北欧諸国は早くからその兆候がありましたが、東京も2008年くらいからデカップリング現象が見られるようになりました。高効率設備の開発やきめ細かなエネルギーマネジメントなど、省エネルギー技術が進むことによって、快適性や生産性を向上しながら、全体のエネルギー消費が下がっているのです。人の行動様式や要求も変化してきて、快適性と省エネが両立するだけでなく、経済も発展するという、本来あるべき姿に変わってきたのです。

東日本大震災以降、大きな変化が現れた。─ 日本でのデカップリング現象はなぜ起きているのでしょうか。

東日本大震災以降、オフィス環境は激変しています。震災後、国を挙げての節電意識の高まりにより、人々の行動が大きく変化しました。震災前、日本のオフィスにおける机上面照度の基準は750 lxでした。

これは、国際的に見ても極端に高い値ですが、私たちはそれが正しいと信じていたのです。震災後には間引き点灯や昼休みの消灯などにより、オフィスの照度をかなり落としました。私の研究室では震災前後の全国のビルを意識調査したのですが、驚くことに照明を暗くしてもほとんど不満の声は聞こえませんでした。500lxだと、まったく問題がありません。300lx位になると、さすがに老眼の人は暗く感じますが、パソコンの画面を見ている分には全く問題がありません。暗くしても不快ではなく大丈夫だということに、皆が気がついたのです。現在のオフィスビルは750lxの器具が入っていますが500lxで運用されているところが多くなっています。

次に大きな変化は、消費電力の少ないLED照明が急速に普及した点です。Hf蛍光灯とLEDは同じ照度なら消費電力もほぼ同じですが、LEDは調光が容易なので消費電力が大幅に削減できます。Hf蛍光灯なら20W/m2くらいの消費電力が、LEDなら5W/m2と1/4になるのです。最近、私たちか関わった先進のビルでも、この値が実際に達成できています。パソコンはCRTが液晶画面になり、デスクトップPCが省電力のノートPCになり、席を離れるとスリープする「省エネプログラム」も導入されました。消費電力も25W/m2くらいあったものが、10W/m2以下になっています。発熱を伴う照明やPCなどの内部負荷が激減すると、空調負荷も大幅に減ります。震災前の平均的なオフィスビルは一次エネルギー消費量がほぼ2,000MJ/m2年でしたが、1,600MJ/m2年くらいまで、2割くらい下がっています。大きな理由は照明と内部負荷の削減、これが大きな効果を発揮しています。

ビルの外皮性能が問われる時代になった。─ ビルの消費エネルギー削減はどのような影響があるのでしょう。

たとえば、東京の住宅なら年間4カ月以上は暖房します。このため、住宅では断熱性能が重要視されています。ところが、オフィスビルはほとんど年間冷房をしているのです。その原因は照明からの熱、パソコンやOA機器からの熱、人間からの発熱などです。その熱を処理するために冷房をしているわけです。ビルの場合は断熱せずに、シングルガラスの窓から外に出て行った方が効率が良かったりしたのです。

本来は、ペリメーターゾーンをダブルスキンやエアフローにしたり、Low-Eガラスを採用するなどして、ビルの外皮性能を高めることが重要です。しかし、断熱性能を高めると熱が逃げていかないので困るという理由から、日本のビルは外皮性能が悪いままでした。ところが、照明やPCの消費電力が少なくなると、今まで年間冷房しないといけなかったビルが、冬には窓側のペリメーターゾーンでは寒くなり、暖房が必要になります。これまで、軽視されがちだったオフィスビルの外皮性能は、これからZEB化が進むとますます重要になります。外皮性能の劣ったビルを建てると、50年後に解体するまで、その性能はまず変更できません。すでに、この数年でビルを取り巻く環境は激変しているのです。

規模や用途に合わせて実現可能なZEBを考える。─ 高層ビルのエネルギーをプラスマイナス・ゼロにするのは難しいのではありませんか。

厳格なZEBやZEHの定義は、建物の外皮性能を高め、高効率設備とエネマネで一次エネルギー消費量を削減。その究極まで削った消費量を建物の上に置いた太陽光発電などでプラスマイナス・ゼロにしようということです。これは、戸建住宅はそれほど難しくはありませんが、集合住宅や高層住宅では難しいですね。ZEBの場合は低層だったり、敷地に駐車場があれば可能ですが、都心型に厳格な定義を求めても難しいでしょう。経産省の目標では、2020年は公共建築でZEBを実現。また、2030年には民間も含めて平均値でZEBにするとしています。厳格な定義のZEBだけでは、コストや実現可能性に問題が生じます。そこで、ビルの用途や規模に合わせて実現可能なZEBを考えようと、ZEBを何段階かに分けて考える方法を取り入れようとしています。

まず、これまでの建物に比べて消費エネルギーを50%にすることが条件です。ただし、建設時にはコンセント負荷はコントロールできないので除きます。その後に、再生可能エネルギーの導入でゼロに近づけていく建築をZEBとよびます。それをZEB ready、75%くらいのものをnearly ZEB、本当にゼロになるのをZEB、そしてプラスになるものをPEB(Positive Energy Building)という位置づけをしようとしています。これは、世界的な潮流でもあります(図)。 ZEBは、一般に与える印象が省エネビルとは全く異なります。省エネビルは、暑くて不快なビルというイメージが定着していますが、ZEBにはクオリティが保証されている、いや保証されていなくてはならない。ムダなエネルギーを使わない、働きやすく快適なビルなのです。

「パッシブ」から「エネルギーハーベスト」へ。─ 建築のパッシブ性能が、より重要な時代になるのですね。

最近、私は「パッシブ」という言葉を使わず、「エネルギーハーベスト」と呼んでいます。採光という言葉がありますが、英語ではデイライトハーベストと言います。それを昔の学者が、昼光を刈り採る、すなわち採光と訳したのです。パッシブというと受け身に聞こえますが、外光を使う技術や自然換気をする仕組みは、刈り採るという積極的な行為です。外光や外気を適度に採り入れる技術が必要なのです。

ハーベストをするためには、外の環境が良くないといけません。ヒートアイランドで外が暑かったり、PM2.5などで汚染されているとそのまま外気を採り入れることはできませんし、密集した建物では外光を採り入れることは困難です。光や風という自然の恵みをハーベストできるように、都市環境も快適に整える必要があるのです。街に街路樹や公園などの緑が多くあれば外気温も低くなります。建築が良ければ、良い街ができるのではなく、外の環境も整える必要があるのです。快適な環境はビルや住宅個別で完結するのではなく、コミュニティや街全体で考えていくことが重要です。

先ほど、ZEBを定義する場合に、横軸をエネルギー消費量として、縦軸にはエネルギー生成量を置きましたが、私は縦軸にハーベストによる評価を加算しても良いのではないかと考えています。太陽電池が光を電気エネルギーに変えるのなら、外光をエネルギーとして採り入れるのも同じだと思います。現在では外光・外気の採り入れに工夫をしていても、ZEBの評価に数値として反映しません。ハーベストという概念で括れば、これまでの建築、設備の関係から脱却できるのではないでしょうか。ハーベスト技術が数値化して評価されれば、それにより技術開発も進むでしょう。これが、より快適で省エネ、そして知的生産性の高いZEBの普及に役立つと考えています。

ZEBの定義

田辺新一 氏
田辺新一 氏
1958年福岡県生まれ。1980年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1984年同大学大学院博士課程修了。工学博士。1984〜86年デンマーク工科大学暖房空調研究所。1992〜93年カリフォルニア大学バークレー校環境計画研究所。1992〜99年お茶の水女子大学生活科学部助教授。1997年ローレンスバークレー国立研究所訪問研究員。1999年早稲田大学理工学部建築学科助教授。2001年から現在同大学教授。
受賞多数。建築設備技術者協会会長、日本建築学会副会長、東京都環境審議会会長、経済産業省資源エネルギー庁省エネルギー小委員会委員、日本工学会フェロー、日本学術会議連携会員。ISO-TC146/SC6議長など。