中島正弘 氏

「新しい東北」の創造に向けて インタビュー時:復興庁事務次官 現在:内閣官房参与、復興庁顧問、福島復興再生総局事務局長 中島正弘 氏 Nakajima Masahiro

広報誌掲載:2014年2月

2011年3月11日14時46分、わが国観測史上最大級の地震が発生。三陸沖、宮城県牡鹿半島の東南東130km付近を震源とした東北地方太平洋沖地震の規模はモーメントマグニチュード9.0。震源域は岩手県沖から宮城県沖までの長さ約450km幅200kmという広範囲にわたり、最大震度が7の宮城県北部をはじめ、宮城・栃木・福島・茨城の4県で震度6強を観測した。この地震により発生した巨大津波により、東北・関東の太平洋沿岸部は壊滅的な被害を受けた。

2014年3月には、この東日本大震災から3年を迎える。震災以降、国内外からの支援を受け、政府もさまざまな災害対策を行ってきた。その中心となるのが、2012年2月に設置された復興庁。その東京本庁で震災復興の指揮にあたる中島正弘事務次官に、震災復興の現状と今後の展望をたずねた。

2020年を期限として設置された復興庁復興庁の役割についてお聞かせいただけますか。

震災復興の仕事分野は多岐にわたり、それぞれの省庁が責任と権限を持って事業を実施しますが、これらを総合的に調整して展開する必要があります。このような場合、各省庁の調整機能を持たせた組織を作ることが多いのですが、復興にあたっては、政府の総力を挙げて取り組む体制が必要なため、実行力と調整機能を併せ持った省庁として、2012年2月に復興庁が設置されました。

復興庁は、内閣総理大臣を長とし、事務を統括する復興大臣を置いた、国家の最重要課題に取り組むための機関です。省庁の一部ではありますが、内閣官房と同じような司令塔機能を持った、各省より一段高く位置づけられた組織です。また、各省庁または民間から約500名の職員が派遣されており、東京に約200名、岩手・宮城・福島の復興局に約300名を配置しています。復興庁の設置期限は復興基本方針に定める復興期間と合わせて、震災発生年から10年間、2020年度までとなっています。

仮設住宅から恒久住宅への移転が始まりつつある。現在の復興状況をおきかせください。

周知のように東日本大震災は甚大な被害が広域で発生。死者・行方不明者は2万人近くに達し、建物被害も100万戸に及びました。災害復興の進捗は、仮設住宅に入居されている方の数でわかると思います。最大時の仮設住宅入居者は47万人でしたが、入居戸数は減少しており、恒久住宅への移転が始まりつつあります。しかし、2013年11月の段階でも、まだ28万人が避難者として残っておられます。この方たちに、一日でも早く恒久住宅に移っていただくのが私たちの課題です。津波被災地での住居問題は、時間がかかっていますが、3年を経過して着実に進んでいます。復興まちづくりでは、土地区画整理や防災集団移転、漁業集落防災強化などがあり、それぞれが半数近く着工段階となりました。(2013年9月末)

また、復興のための公営住宅として22,000戸の建設を計画し、60%の12,810戸が着工しています。

これから順次着工していきますので、街づくりでは来年・再来年がピークになると思われます。復興庁の設置期限は10年なので、前後5年に分けていますが、前期5年には、何とか7〜8割の方が入居していただけるように頑張っています。

また、被災者住宅支援金という制度があり、最初に100万円を支給し、着工時には200万円、最高300万円を支給しています。この支給データを見ると着工された方の数がわかります。19万人弱が被災者住宅支援金に申し込まれていますが、9万人の方は、まだ着工されていません。着工されていない方の中には、土地を探されている方だけでなく、高台造成を待たれている方もおられるので、復興まちづくりは喫緊の課題として進めています。

公共インフラに関しても種類ごとに進捗状況を発表していますが、すべて完了段階に至りました。直轄国道は99%が本復旧完了。鉄道路線延長は89%で運行を再開。防潮堤や漁港などは被害が大きかっただけに時間がかかっていますが、道路や上下水道などの公共インフラ復旧はほぼ終わっています。前期5年で多くの施設のめどが立つと思います。

産業は復興しつつあるが、課題は多い。産業面ではどのような状況なのでしょうか。

産業面では、経済の動向もありますが、被災地の鉱工業生産能力は、ほぼ震災前の水準に戻っています。津波で被災した農地に関しては、約2/3が営農再開可能になっています。また、これを機に農地を大区画化して生産性を高めようという動きもあります。

雇用状況では、部分的にはミスマッチがあり、皆が震災前の職について満足されているとは思いませんが、業種によっては人が足りないという状態です。

また、復興に関しては、津波被災地と福島県では全く様相が異なります。

福島県には避難指示区域があり、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域と、放射線量ごとに区域を分けています。除染を行って放射線量を下げ、区域の見直しをし、環境を整えた上で帰還していただくというのが、基本的な方針です。しかし、帰還に時間がどれだけかかるかが課題です。あまりに長い年月がかかる場合、仮住まいではいけないので、帰還を視野に入れて、安定的な生活ができるような住まいの方策が必要です。また、当面帰還できない場合はどのような支援ができるかを示し、ご本人が選択できるサポートを考えているところです。福島県全体の避難者は約14万人ですが、そのうち6万人強がこれら避難指示区域以外からの避難者であることを考えれば、原子力災害への対応の難しさはご理解いただけると思います。

さまざまな手法を用いて復興を加速させる。災害復興のスピードを妨げているのは何でしょうか。

復興の遅れとしてよく指摘されているボトルネックは、広域災害に対する市町村の執行力です。被災地の市町村では、職員が圧倒的に不足しています。この執行力をカバーするために、全国の自治体、国の省庁、UR都市再生機構などから職員を派遣して人的なサポートをしています。

住宅再建・復興まちづくりのためには用地取得や資材調達、発注作業などの作業がありますが、従来のように基本設計・実施設計などの手順を踏んで発注していると、天文学的な発注作業が必要となります。このため、複数地区の設計業務と工事を一括して発注できるコンストラクション・マネジメント(CM)方式の導入を推進しています。これにより、発注側である市町村の業務を大幅に減らすことができます。また、地元の産業を育てるために地元業者には下請けに入っていただいています。

さらに、地域ごと、資材ごとのきめ細かな需給対策として、発注者、建設業団体、資材団体などで構成する情報連絡会を開催し、需給見通しやどこに資材があるかなどの情報交換を行ない、施工に遅れのない体制づくりを行っています。

一番難しいのが、生コン・骨材など、現地調達しなければならない資材です。ダムの現場などでよく用いる手法ですが、発注者側で生コンプラントを造るなど、公共による公共事業専用のプラント建設の手法も採用しています。

これから復旧事業が全面展開される中で、それぞれの現場で多くの問題が起こると思いますが、一つずつ丁寧に対応していくことが重要だと思っています。たとえば、高台移転を進める際も被災者の思いはさまざまです。不安もあればストレスもあります。そのような被災者の気持ちやニーズに寄り添った計画の弾力的な運用を行おうとしています。

日本が抱える課題を解決して「新しい東北」を。復旧にあたっての課題はあまりに多いと思えます。

被災地としての東北は、日本社会が抱えている課題が顕著に表れた場所だと思います。高齢化、エネルギー問題、防災に強いまちづくり、コンパクトな市街地、地域資源を活かしたまちづくりなど、今後の日本が解決していくべき課題に満ちているのです。東北に必要なのは「最低限の生活再建」ではなく、これらの課題をクリアしたまちづくりです。それを「新しい東北」の創造とよんでいます。

「課題は現場にあり、解も現場にある」の認識のもと、現場の先駆的な取り組みを集め、「新しい東北」の創造に向けた取り組みを進めているところです。

ここでは5つのテーマを挙げています。

  1. 1)元気で健やかな子供の成長を見守る安心な社会
  2. 2)「高齢者標準※」による活力ある超高齢社会
    ※低下した高齢者の身体・認知機能を標準とすること
  3. 3)持続可能なエネルギー社会(自律・分散型エネルギー社会)
  4. 4)頑健で高い回復力を持った
    社会基盤(システム)の導入で先進する社会
  5. 5)高い発信力を持った地域資源を活用する社会

これらのテーマに沿って、今年度は、

○企業、大学、NPOなど、幅広い担い手による先導的な取り組みを加速するため、「新しい東北」先導モデル事業を選定して支援する取り組み

○被災地が必要とする人材を企業などから現地に派遣する復興人材派遣や、起業者への投資促進のためのプラットフォームの構築を推進しています。

たとえば、先導モデル事業の例としては、旅館のブランド価値を高めたり、中山間地域における植物工場の活用などがあります。

2020年には東北復興を世界に示したい。中島次官は国土交通省の出身だと伺いました。

当時の建設省に入省してから、一貫してまちづくりの仕事をしてきました。発災時は復興の窓口として省のとりまとめをしており、現在も連続して復興に取り組んでいることになります。

私の出身は神戸なので、阪神淡路大震災では両親が被災し、一命はとりとめたものの、自宅は全焼しました。このため、震災の悲惨さは理解しているつもりでしたが、津波災害が起きて2万人もの方が亡くなる大震災など、全く想定もしていませんでした。2004年のスマトラ沖地震で津波災害があった時、日本には優秀な津波警報システムがあるのだから、全太平洋に展開すべきという意見もありました。チリ沖で地震があっても津波警報が出せるだけのシステムを持っていたので、たとえ津波があっても逃げられると思っていました。しかも、東北の人は津波避難訓練もしていたのに、これだけの被害が出たのですから、他の地域だったらどれだけの被害となったでしょう。それは、警報が直感的に危機として認識できなかったところに、問題があるのかもしれません。今回、津波が発生したときに監視カメラで確認できる沿岸津波監視システムが導入されましたが、このような新しいテクノロジーを東北に数多く投入して欲しいのです。

今回の任務に就いて思うのは、日本がこれまでも公害問題を始め、数多くの災害に対して、人知を結集して乗り越えてきた問題解決力です。東北にも全国の企業が知恵と技術を投入し、日本が抱える課題を解決することで、次世代のソリューションビジネスが広がっていくのだと思います。それが世界も抱える課題を解決する、グローバルスタンダードのソリューションです。そのような、可能性の地としての「新しい東北」を創造していこうと思うのです。先ほども述べましたが震災から10年後の2020年度には復興庁は廃止されます。奇しくも、その年には東京でオリンピックが開催され、世界中の人が日本に集います。その時に、人類が抱える課題を解決している「新しい東北」を全世界に提示したいと思っています。

2020年には東北復興を世界に示したい。

2020年には東北復興を世界に示したい。
中島正弘 氏
兵庫県出身。1975年 京都大学経済学部を卒業、旧建設省に入省。国土交通省都市・地域整備局長、総合政策局長を経て、2013年2月から復興庁事務次官。2014年1月内閣官房参与、復興庁顧問、福島復興再生総局事務局長に就任。