住まいは文化

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2013年3月27日更新

先人たちが遺してくれた住まいづくりの知恵 「住まいは文化」

北海道函館市「旧遺愛女学校宣教師館」

女子教育に献身した宣教師の共同生活の場


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函館市杉並町の旧遺愛女学校宣教師館は、北海道で女子教育を手がけたアメリカ人女性宣教師たちの宿舎として、1908(明治41)年に竣工した。複数の寝室や食堂、書斎を持つ美しい白亜の洋館で宣教師たちは共同生活を営み、併設された和館には調理師などの日本人も住んだ。

北海道の気候に配慮して内部に作ったとされる装飾的なアーチ。明るい窓辺で宣教師たちは読書を楽しんだのだろう

八角形の尖塔を備えた
アメリカ建築様式の宣教師館

旧遺愛女学校はアメリカのメソジスト派キリスト教会の寄付・援助によって1882(明治15)年、函館の元町に開校。関東以北で最初のミッションスクールとして英語や音楽、聖書を基にした道徳を士族の娘に教えていました。その後、学校は現在地(杉並町)に移転。1908(明治41)年に、校舎とともに旧遺愛女学校宣教師館(以下、旧宣教師館)が建設され、数名の宣教師たちの住まいとなりました。
旧宣教師館は下見板張りに胴蛇腹を施した異国情緒漂う外観で、南東角に八角形の尖塔(せんとう)が見られます。当時の北海道では札幌農学校の演武場(現・札幌市時計台)をはじめ、アメリカの建築様式の影響を受けた建物が数多く建てられましたが、旧宣教師館もアメリカ出身の建築家、J.M.ガーディナーの設計であるといわれています。
館内は食堂や書斎といった共有スペースと宣教師用の個室を明確に区別して配置する典型的な洋風住宅の構造です。その一方、ふすまの扉を持つクローゼットなど、和風のしつらえが見られるのは時代の雰囲気を伝えていてユニークです。


宣教師の生活を邪魔しないように
洋館と和館を扉や階段で分離

建設当時、周辺は広い草原で水道や電気は通じていませんでした。そのため、玄関ホールや3連アーチのある広間などのあちこちにフックを付けてランプを吊り下げ、生活していました。また、地階のボイラー室からラジエーターへ蒸気を送って暖房としました。食事など、暮らしを支える日本人調理師や用務員が廊下の先の和館に住んでいましたが、宣教師の居住区との間に扉や階段を設け、宣教師の生活を邪魔しないように工夫されています。
旧宣教師館の洋館部分はその構造や意匠が優れており、保存状態も良好であることから、2001年に国指定の重要文化財に指定されています。

2つの踊り場や装飾的な手すりがみられる階段。建築家ガーディナーらしさがうかがえる意匠

洋風の宣教師の寝室。ふすまを扉にしたクローゼットをしつらえてある

2階の炊事室。食事やお茶の時間に日本人調理師が腕をふるった

調理師夫婦が暮らした和館内の和室

  • ※ 年に3日間のみ一般公開。
  • ※ 学校法人 遺愛学院の特別許可を得て撮影。

白い外壁や屋根窓、八角形のせん塔が目を引く美しい洋館で、明治末期から女性宣教師たちが暮らした。右に続く平屋部分に和室がある

せん塔の内部にあたる1階家族室。宣教師たちが集い、くつろいだ時間を過ごした共有スペース。暖炉には薪をくべて暖をとった

2階の食堂。奥が炊事室で、壁の四角い小窓から料理を出した


■現状間取り図

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