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LIGHTING STYLE Vol.9

Special Column

人を動かす光

清水敏男氏

清水 敏男氏

TOSHIO SHIMIZU ART OFFICE 代表
アートディレクター 美術評論家
学習院女子大学教授

1953年東京都生まれ。
1977年東京都立大学人文学科文学科卒業。
1983年ルーヴル美術館大学修士課程修了。
1985〜91年東京都庭園美術館キュレーター。
1991〜97年水戸芸術館現代美術センター芸術監督。
1998〜2001年イセ文化基金顧問。
1999年三鷹の森ジブリ美術館アドバイザー。
2004年〜学習院女子大学・大学院教授。

明るさと暖かさを生むアート

プラウドタワー大泉学園は西武池袋線大泉学園駅直結の複合再開発プロジェクトです。その中の集合住宅のアートディレクションを担当しました。オフィスビルや商業施設であれば人目を引くようなアートを置くことが多いのですが、マンションはそのように不特定多数の人が大勢来るような場所ではないので、住人が家に帰ってきた時にアートを見て、自分の住んでいる場所が明るいとか暖かいと感じられる空間づくりが重要だと考えました。具体的には、エントランスやエレベータホール、廊下などに光を反射するアートや日本の木をモチーフにしたアート、中庭には光で演出するアートなどを置き、日常にきらめきを与えることを目指しました。住人は、このエントランスに設置されたアートを毎日目にすることになります。公共の場に置かれているアートとは異なり、毎日見ても飽きないもので、そのアートがそこにあることで心が安らぐようなものをつくりました。生活の傍によいアートがあるということは、この建物に住む子どもたちにとって、長年共に過ごすことになるので、とても大切です。
また、プラウドタワー大泉学園は駅と直結しています。普通、家と駅は少し距離があり、その道のりで生活のオンとオフを切り替えていることが多いと思います。しかし、今回は駅に直結しているのでそれが難しいと考えました。そのため、オンとオフを切り替える役目として、エントランスにアートを設置しています。
プラウドタワー大泉学園では、光をテーマにしてアートの演出を行いました。当然ですが、設置するアート作品がとても重要です。本当に自分が一番よいと思うアートを私は採用しています。そうしないと、そのアートが置かれた空間は長持ちしません。長い期間置かれることを考えて、その時に最高のアートを常に選ぶ努力をしています。

場所の文脈を読む

私は、空間にアートを置くのではなく、アートで空間をつくろうと考えています。それは、場所の状況を考えているからで、そこに来る人たちのことを想像し、その人たちにどのようなメッセージを送ることができるのかと常に試行錯誤しているからです。それを考えずに、ただ美だけを追求すると、良いものができたとしても見る人にとっては共感できないものになってしまいます。そのためアートが置かれる文脈というものは、とても大切です。例えば、「霞が関ビルディング アートワーク」では、日本初の高層ビルである霞が関ビルディングのリニューアルに際して、ドイツ人アーティストのカールステン・ニコライによるアートワーク「poly stella(ポリ・ステラ)」の設置をプロデュースしました。霞が関という場所は官庁街で、国の重要機関が集まり全国に発信するところなので、それをコンセプトに、そこに一度光が凝縮してまた外へと放たれるという作品にしました。また、「さんぽーと港南 アートワーク」の保育園入口の大壁面には、キラキラと輝きを放つ、ダイナミックなレリーフを設置しました。子どもたちに毎日新しい発見があるような楽しいアートです。
これらの作品では、そのアートが置かれる文脈をきちんと読み込み、アートを置くことで生まれる、その場所ならではの空間づくりを目指しました。

美術館を出て、街でアートを展開する

人は普段、何気なく日常生活を送っていますが、不思議なことにそれだけでは決して生活に満足できないのではないでしょうか。大昔、人は雷や自然災害などコントロールできないものに不安を覚えて、人間を超越したもの、非日常的なものを崇拝していました。世界の都市の成り立ちを見ると、神殿と市場というように、非日常的な聖なる場所と日常的な俗なる場所が必ず都市の骨格を成しています。
現代では、神殿のような宗教施設に代わって、美術館やコンサートホールなどが非日常的な場所として街の中で機能していると思いますが、つまり芸術的なものが人に非日常的な体験を与えているとも言えます。美術館などが非日常をつくり出すアートを展示する場所として機能することは大変よいと思いますが、私個人としてはアートを街で展開し、生活のふとしたところに人の日常を越えるアートがあることで、人の心が安定するのではないかと思っています。
私は、もともとキュレーターで、美術館で何年間も働いてきました。ある時、美術館に来る人は限られた人のみであることに気付きました。街を見れば、たくさん人がいるのに、美術館に足を運ぶ人の数はなかなか増えません。もし、アートが街の中にあれば、たった1日でたくさんの人がそれを見ることができると考え、美術館のキュレーターを辞め、街を舞台にアートのディレクションを行うようになりました。

光と人

私の場合、やはりパリでの体験にすごく影響を受けています。パリはとても美しい街ですが、夜の街も美しいです。早い時間から照明を付けて、光で街を演出しています。パリは街中に住宅が数多くあり、たくさんの人が都心に住んでいるので街が光で彩られるのです。日本の場合、都心は住む場所ではなく日中に働きに来る場所です。仕事が終わると人は郊外へと帰ってしまうため都心に明かりがありませんでした。しかし、最近になってだんだん都心に人が回帰し住人が増えてきて、夜の生活が賑わい、夜の街並みもつくられてきているように思います。そのように、人のライフスタイルが変われば光の空間は生まれるのだと思います。ライフスタイルと光はすごく密接です。
光をテーマとしたアートを数多くディレクションしていて、照明にもこだわっています。そこで感じたことは、既存の白熱灯・蛍光灯からLEDに変わり、光の表現がものすごく豊かになったことです。表現と技術の歴史を見ても常に密接に結びついていて、表現したいものが先にあり、そこに新しい技術が生まれたこともあれば、その反対もありました。アーティストは、既存の枠組みに捕らわれずに、自由奔放に考えます。それを抑えるのではなく、なんとか実現しようと努力することが常に必要だと思っています。昨今はデジタルの時代ですから、さらにいろいろなことが可能になってきているのではないでしょうか。90年代にジェームス・タレルの展覧会を企画したことがあります。彼は、光の空間を表現するアーティストで、よく蛍光灯を使うのですが、蛍光灯に専用の調光システムをつくったりと、当時はものすごく費用がかりました。しかし、現代の技術を持ってすれば難しいことではないように思います。
LEDは当初、効率を重視されたものでしたが、最近は効率だけではなく人の心に訴えるようなエモーショナルな演出ができるようになってきたと思います。アートは人と空間を繋ぐ役割を果たしますが、同じように光も人と空間を繋ぎます。さらに人と空間を繋げることのみならず、人同士のコミュニケーションを促すものとしても働き、それぞれ人に働きかける力を持っています。アートもそうですが、光のあり方もいろいろと変わっていくように思います。