一ノ瀬愛理
電気交渉人。この連載の主人公。名前の「愛理」は両親が「愛(あい)と理(ことわり)の両方を持った人に育ってほしい」という願いを込めて名付けられた。後輩の小林さんと田中さんの良き相談相手
電気交渉人。この連載の主人公。名前の「愛理」は両親が「愛(あい)と理(ことわり)の両方を持った人に育ってほしい」という願いを込めて名付けられた。後輩の小林さんと田中さんの良き相談相手
真面目で技術に優れているけれど人との関係が苦手
のんびり屋で明るく人から好かれるけれど段取りが苦手
今回は私の後輩に「アンカーリング」という考え方について教えています。人が選択をするときには、何らかの判断基準を必要とします。買い物をするときにも、よく値段を知っていて判断基準があれば、高くふっかけられても適正な値段で買うことができます。一方、骨董品のような値段のよくわからないものだと、高くふっかけられて、値切ったとしても高い買い物をしてしまうこともあります。
アンカーは船の錨のことですが、「アンカーリング」は相手に判断基準の錨を打ち込むことを意味しています。どのように相手に判断基準を持たせるのかが、交渉では重要になります。
恋人にプレゼントをするときでも、「簡単に手に入った」という印象と、「苦労して手に入れた」と思ってもらうのとでは、同じプレゼントでも恋人の判断(ありがたみ)は違うでしょう。
前回は、交渉では交渉相手のメリットも考えて、相手もこちらも満足できる交渉を目指すことを話したね。お互いが重視している価値の違いに着目し、相手にメリットがあるカードを示し、こちらが欲しいカードを手に入れる「トレード」という考え方だった。
一つのカードを奪い合うのではなく、相手が欲しいカードを提供し、こちらが望むカードと「トレード」するということでしたね。
そうだね。ところで相手と交渉する場合に、適正かどうかの判断基準を持たなければ、それで合意していいのか判断できない。
だから、「交渉の前にできるだけ情報を集めて、相応しい内容かどうか判断できるようにしておくことが大切だ!」ということですね。
交渉相手も情報を収集し、同じ情報を持っていれば判断は似てくる。しかし、交渉相手が同じ情報を持っていないことも多いし、同じ情報でも同じ解釈とは限らない。
そうか、こちらに有利な方向となるように、交渉相手に情報を提供して、相手の判断を誘導することができるということか。
僕なんか、交渉相手から誘導されっぱなしですよ。
どんな情報をどのように提供するのかは、交渉の重要なポイントになるのは間違いない。
定価販売の場合は別にして、値引きを前提とした交渉の場合には、最初の提出金額が(口頭による概算であっても)アンカーの役割をして、それを判断基準の一つとして値交渉になる。低すぎれば本来得られた利益を失うことになるし、高すぎれば交渉の土俵から外されてしまうことになるので、適切な提出金額(アンカー)を投げることが重要なんだ。
例えば、発注者に最初に提示した金額が1000万円で、900万円までが値引きの最低線だと、その間で決まるということですね。950万くらいで決まるのかなぁ。
最初に提示した金額が1200万円だと、1000万円くらいで決まるかもしれないですね。
協力会社との契約では、予算オーバーな場合には「協力会社が提出してきた見積金額は高い」という印象を最初に与えることが必要だ。相手の最初の反応は、それが無意識にでも、判断に影響を与えるアンカーになってしまうんだ。
ある発注者から酒を飲んだ席で聞いたことがありますが、「外注先の見積書を見たら、どんな金額が書かれていても、まずは『え~!?』と驚いて見せて、『高すぎるなぁ~』と嘆いて見せる」ことが、予算管理のコツだそうです。
アンカーリングのいい例だね。うまく使えば効果的な交渉テクニックだよ。ただし、相手との信頼関係を壊さない注意が必要だけれどね。
支倉凍砂の小説「狼と香辛料」の中で、若い行商人クラフト・ロレンスが百戦錬磨の商人相手に困難な交渉に成功する場面がいくつも出てきます。どんなにふっかけられても、大局的な観点や旅で得た情報などに基づく適切な判断で、相手に引きずられずに交渉しています。交渉は情報力が大切なんだなぁ。
田中さんは情報収集の鬼だからね。
実は先日、協力会社と見積交渉をしたのですが、難しい現場だからと高い見積書を出されました。相場はつかんでいて高いと思ったのですが、すぐに着工しなければならず、ある程度の値引きで妥協して発注してしまいました。
交渉を有利に運ぶには、選択肢を持っていることが重要なんだ。「すぐに相手と契約しなければならない」といったような、こちらの選択肢が限られていれば、交渉相手が断然有利になってしまう。次回は「バトナ」という交渉の考え方を説明しよう。
著者:志村コンサルタント事務所 志村 満
イラスト:日暮里本社