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2022年6月号
脱炭素社会に向けて
カーボンプライシングに期待される役割~新たな需要とイノベーション~
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早稲田大学 政治経済学術院教授
早稲田大学 環境経済経営研究所所長
経済産業研究所ファカルティフェロー
有村 俊秀 様
政府が2020年10月に「温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする。すなわち2050年にカーボンニュートラルを実現する」と表明したことは記憶に新しいですが、今、世界的に脱炭素に向けた動きが加速しています。2021年11月には英国において、第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)が開催され、日本でもこれまでとは異なる形で脱炭素への関心が高まっています。その達成の手段として注目されているのが「カーボンプライシング」です。
今回は、カーボンプライシングの日本における第一人者のおひとりである早稲田大学の有村俊秀教授にお話を伺いました。
カーボンプライシングとは
―カーボンプライシングという言葉はまだ一般には浸透されておらず、多くの方にとってはなじみのない言葉だと思いますが、どのようなものでしょうか?
有村様:カーボンプライシングとは、二酸化炭素を中心とした温室効果ガスに価格をつけ、排出削減を目指す政策手段のことです。炭素(カーボン)に価格をつける(プライシング)ので、カーボンプライシングと呼ばれます。
今の時代に必要なのは、経済活動を活発にさせながらも二酸化炭素の排出量を抑制していくことです。経済学では、モノが売買されている状況や場所を「市場」と呼びますが、環境はその市場の「外」にあるもので、多くの人は環境が「タダ」だと思っています。ですが、二酸化炭素の排出にお金がかかるとしたら、どうでしょうか。費用が発生すれば、費用を抑えようと、企業や人々が二酸化炭素の排出を抑えようとしますよね。このように、二酸化炭素に価格を付けることで、「市場」の外ではなく「中」に取り込むことで、環境問題を解決しようというのが環境経済学であり、二酸化炭素に価格を付けることで排出を抑制していこうというのがカーボンプライシングです。
―カーボンプライシングの世界での取り組みと日本の状況についてお聞かせください。
有村様:カーボンプライシングには、「炭素税」と「排出量取引制度」の2種類があります。二酸化炭素の排出量に合わせて課税される「炭素税」は、1970年代にアメリカの経済学者が提唱し、1990年にフィンランドで世界で初めて導入されて以来、欧米を中心に数十の国・地域で導入されてきました。日本では、現在、環境省と経済産業省で導入に向けての議論が進んでおり、私もこの会議のメンバーです。
「排出量取引制度」についても欧米を中心に導入され、アジアでは2015年に韓国で、2021年には中国で導入されました。あまり知られていませんが、日本では2010年に東京都が、2011年に埼玉県が導入し、成果を上げています。
カーボンプライシングに取り組む意義と効果
―カーボンプライシングを導入することによって得られる効果についてお聞かせください。
有村様:カーボンプライシングによって、期待される効果は主に次の5つが考えられます。
①化石燃料の低炭素化
石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料を燃焼させて作る火力発電は、たくさんの二酸化炭素を排出します。中でも最も低コストな石炭は、高コストの天然ガスの約2倍の二酸化炭素を排出します。そこで排出量が最も多い石炭に最も多く課税し、排出量が最も少ない天然ガスに最も少なく課税することで、石炭から天然ガスへの「燃料転換」が期待されます。実際、欧米では導入後に天然ガスの発電が増えています。
②省エネルギーの促進
化石燃料に課税されることで値上がりすれば、コストが電力に跳ね返り、電気代が値上がりします。そうするとオフィスや家庭では電気の使用量を減らそうと省エネへの取り組みが加速するでしょう。例えば電気をこまめに消すとか、高効率・省エネタイプのエアコンや冷蔵庫に買い替えるなどの動きが生まれます。
③再生可能エネルギーの普及
化石燃料を使った電力の価格が上昇すれば、太陽光発電などの再生可能エネルギーの普及が進みます。米国や英国での事例もあります。
④ZEH やZEBの普及促進
人々が家を購入する際には省エネ効果の高いZEHを選ぶようになり、急速に普及が進むことになるでしょう。企業でも自社ビルをZEB化する動きが進むはずです。
⑤脱炭素技術の進歩
たとえばヨーロッパでは、カーボンプライシング導入後、脱炭素技術に関する特許申請が増えています。カーボンプライシングは、社会にイノベーションをもたらすと言えるのではないでしょうか。
このようにカーボンプライシングが導入されると、企業も消費者もカーボンプライシングを支払うのが得なのか、排出量を削減する方が得なのか、考えるようになります。カーボンプライシングには、人々に「行動変容」をもたらす意義もあると私は考えています。また、このように市場のメカニズムを使って排出量を減らしていくため、政府による費用負担も抑制されます。
実は、日本でも炭素税のような環境税は、既に導入されています。2012年に導入された「地球温暖化対策税」です。二酸化炭素の排出量削減を目的に、石油・石炭・天然ガスの化石燃料に税金が課せられるようになりました。税率は排出する二酸化炭素の量で決まり、2016年までに3段階で引き上げられました。税収は、再生可能エネルギーの開発費やZEBやZEHの補助金の原資に活用されています。
炭素税においても、税収を脱炭素技術の普及等の原資として活用することができます。また、税収を一般財源として既存税の減税に用いれば、排出削減と経済成長の両立が可能になります。これらは炭素税の「二重の配当」と呼ばれ、導入国において様々な成功事例があります。
また、前述したように、日本国内でも東京都では2010年から、埼玉県では2011年から「排出量取引制度」が既に導入されており、事業所やオフィスビルなどにおいて、二酸化炭素の排出量削減目標が定められています。その効果として、オフィスビルや工場において、LED照明器具他、省エネ効果の高い設備機器の導入が他県に比べ進んだという結果や、二酸化炭素の排出量が削減されたという事実があります。
このように、諸外国や日本の一部地域において、成功事例のあるカーボンプライシングを、日本が一刻も早く導入することが、脱炭素社会実現への近道であると私は考えています。
カーボンプライシングでの税収の有効活用法とは
―カーボンプライシングの導入で、国民や企業の負担が増えるのではないでしょうか。また得られる税収は国民や企業にどのように還元されるのでしょうか?
有村様:カーボンプライシングの導入は、企業や個々の家計にとっては、短期的には負担増をもたらすかもしれません。しかしながら、脱炭素に向けて取り組まなければ、それ以上の被害が将来の大きな負担として人類にふりかかることになるのです。そのため、短期的にはコストが増大しても、脱炭素のために取り組むべきであるというのが今の世界のコンセンサスとなっています。
また、カーボンプライシングには社会全体の費用を抑制する効果があるため、カーボンプライシングを導入しない方が最終的には企業や国民の負担は増えるのではないかと私は考えています。
炭素税導入の結果として、電気代、ガス代、灯油代、ガソリン代が上昇し、家計の負担増が考えられますが、各国の事例で見れば、カナダのブリティッシュコロンビア州では、炭素税の税収を、ガス代や灯油代の上昇の負担が大きい低所得世帯に還元しています。また、アメリカの経済学者は、炭素税の税収を国民に均等に還元することで低所得者の負担を大きく緩和できると考えています。また、企業に対しては、脱炭素技術の普及や研究開発支援として使われる可能性があります。
カーボンプライシングが生み出す新たなビジネスチャンス
―カーボンプライシングによって、電気工事業界にも新たなビジネスチャンスが生まれる可能性はありますか?
有村様:脱炭素に貢献できる企業には、日本のみならず世界中でビジネスチャンスが広がっていくと私は考えています。例えばZEHやZEBなどの建築分野、カーボンリサイクルや水素分野などにおいてです。
高効率エアコンなど、省エネ性能に優れた最新の電気設備の中には従来の製品よりも設置工事が複雑で、取り付けが難しい製品や機種があると聞いています。そういう製品の施工技術力がある電気工事会社様にお仕事が集中する時代が来るのではないでしょうか。新しい施工方法を学んで柔軟な対応ができる電気工事会社様であれば、脱炭素分野におけるビジネスチャンスは無限に広がっていると私は思います。
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