• 商品コラム PRODUCT COLUMN
  • 設計のヒント DESIGN HINT
  • イベント・ウェビナー EVENT WEBINAR
  • 動画 MOVIE

ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965

2025.1.10

# イベント・ウェビナー

1月11日(土)からパナソニック汐留美術館で開催の
「ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965」をご紹介します。

こんにちは。今回は1月11日(土)からパナソニック汐留美術館で開催される「ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965」をご紹介します。

パナソニック汐留美術館は、社会貢献事業の一環として開館し、これまでに「ルオーを中心とした美術」「建築・住まい」「工芸・デザイン」という三つのテーマを主軸に多彩な企画展を開催しています。

パナソニック汐留美術館
開館20周年記念展 ジョルジュ・ルオー ― かたち、色、ハーモニー ―(2023年)

ル・コルビュジエの後期の絵画芸術に
注目したはじめての展覧会

建築家ル・コルビュジエ(1887‒1965) は活動の後期において、建築の指揮のもとで絵画や彫刻をつなぐ試みを「諸芸術の綜合」と言い表しました。そしてそれ以上に、「諸芸術の綜合」とは統 一、調和、普遍的法則の理想主義に導かれた彼の芸術観全体を示すスローガンでもありました。

ル・コルビュジエは近代建築の巨匠として世界的に知られていますが、視覚芸術の他分野においても革新をもたらしました。

本展は1930年代以降に彼が手がけた絵画、彫刻、素描、タペストリーをご覧いただき、さらに彼が求め続けた新しい技術の芸術的利用にもスポットをあてます。そして後期の建築作品も併せて紹介することで、はるかに伝統的な枠組みを超えたル・コルビュジエの円熟期の芸術観を明らかにします。

以下、パナソニック汐留美術館のプレスリリースより、ご紹介いたします。

ル・コルビュジエ(本名シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)略年譜

1887年10月6日
ラ・ショー=ド=フォン(スイス)でシャルル・エドゥアール・ジャンヌレ(のちのル・コルビュジエ)誕生。父は時計の文字盤職人、母はピアノ教師、兄アルベール・ジャンヌレはのちに音楽家となる。
1905年 18歳
美術学校高等科に進学。シャルル・レプラトニエのもとで学び、建築へと導かれる。
1907年 20歳
ルネ・シャパラの協力を得て処女作《ファレ邸》完成。イタリア各地、ブタペスト、ウィーンを旅行。
1908年 21歳
パリのオーギュスト&ギュスターヴ・ペレのアトリエで翌年まで働く。
1911年 24歳
友人クリプスタインと東方旅行(中欧、東欧、トルコ、ギリシア、イタリア)。
1914年 27歳
水平の層をつくる床面、柱、階段からなる「ドミノ・システム」の提唱。
1918年 31歳
画家アメデ・オザンファンと知り合い、ピュリスムを宣言、『キュビスム以後』を共同執筆。
1920年 33歳
レジェと知り合う。『レスプリ・ヌーヴォー』創刊(―1925)。ル・コルビュジエを名のる。
1923年 36歳
『建築をめざして』出版。
1925年 38歳
PK パリ現代産業装飾芸術国際博覧会(通称 アール・デコ博)に《レスプリ・ヌーヴォー館》。
パリの再開発計画「ヴォワザン計画」発表。『近代絵画』『今日の装飾芸術』出版。
1927年 40歳
近代建築5原則(ピロティ、自由な平面、自由な立面、連続水平窓、屋上庭園)提唱。
1928年 41歳
《サヴォワ邸》(―1931)。「現代建築国際会議(CIAM)」第1回大会開催。
1930年 43歳
イヴォンヌ・ガリと結婚。フランス国籍を取得。
1932年 45歳
ニューヨーク近代美術館「モダン・アーキテクチャー展」に参画。キュレイターはP.ジョンソンとH.-R.ヒッチコック。
1936年 49歳
2度目の南米訪問。初めて壁画を描く。初めてタピスリー用原画を制作。
1937年 50歳
パリ万国博覧会で《新時代館》を建設。『伽藍が白かったとき』出版。
1938年 51歳
チューリヒの美術館などで絵画展。カップ・マルタンにアイリーン・グレイが設計したヴィラ「E1027」に壁画を描く。
1940年 53歳
ドイツ軍侵攻によるパリ陥落。セーヴル街の事務所を閉めオゾン(ピレネー山脈の村)へ疎開。
1943年 56歳
モデュロール研究に着手。ジョゼフ・サヴィナと協働して彫刻制作を開始。『アテネ憲章』を出版。
1950年 63歳
インド政府からチャンディガールの都市計画について依頼を受ける。《ロンシャンの礼拝堂》(―1955)。
1953年 66歳
パリ近代美術館などで美術作品の展覧会開催。《ラ・トゥーレットの修道院》(―1959)。
1955年 68歳
《国立西洋美術館》(―1959)の現地調査のため来日、その後、インドへ。
1958年 71歳
ブリュッセル万国博覧会で《フィリップス・パヴィリオン》と映像作品《電子の詩》を制作。
1965年8月27日
カップ・マルタンの海で海水浴中に亡くなる。享年77 歳。ルーヴル宮で国葬。

パナソニック汐留美術館が林美佐氏(大成建築株式会社)作成の略年譜をもとに編集した

以下、パナソニック汐留美術館ウェブサイトより、展覧会の見どころと特徴をご紹介いたします。

第1章│浜辺の建築家

1930年代のパリの芸術界に新しい傾向が現れます。1929年の世界恐慌はそれまでの機械万能主義から自然科学的関心へと価値観を転換させ、絵画の自律性を追求する抽象絵画から、未知の世界へと向かうシュルレアリスムの幻想的な絵画が人々の心をとらえるようになりました。

自然界の原理が創作の着想源として再び注目されるようになり、ル・コルビュジエも、1918年から実践していたピュリスム絵画における幾何学的構成に代わり、貝、骨、流木といった有機的な収集物の形態を、建築と絵画に取り入れるようになります。ル・コルビュジエはそれらを「詩的反応を喚起するオブジェ」と命名しました。

アルプやレジェもこうしたモチーフに興味を示し、機械と人体、自然、あるいは工業性と地域性との関係性を、絵画や彫刻に模索していきます。

ル・コルビュジエ 《レア》
1931年、大成建設株式会社蔵

ジャン(ハンス)・アルプ《地中海群像》
1941/1965年、東京国立近代美術館蔵
撮影:大谷一郎

第2章│諸芸術の綜合

ル・コルビュジエの円熟期の創作活動を理解する鍵が「諸芸術の綜合」の概念です。絵画、素描、彫刻、タペストリー、建築、都市計画はすべて、彼にとって「一つの同じ事柄をさまざまな形で創造的に表現したもの」であり、人の全感覚を満たす詩的環境を創り出すために、互いに関わりながら集結するものでした。

日本ではインテリア・デザイナーのシャルロット・ペリアンがキュレーションした「巴里1955 年― 芸術の綜合への提案 ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人展」(1955 年)において、ル・コルビュジエのこの芸術観が紹介されました。

木彫作品は家具職人のジョセフ・サヴィナとの協働から生まれ、ル・コルビジェはそれらを「音響的形態」とよびました。絵画を立体化したその曲面の造形は、ロンシャンの礼拝堂をはじめとする後期の建築作品に応用され、「音響的建築」の実現がめざされました。

ル・コルビュジエ《奇妙な鳥と牡牛》
1957年、大成建設株式会社蔵

ル・コルビュジエ《手》
1957年、森稔コレクション蔵

ロンシャンの礼拝堂(フランス、ロンシャン)
1950年-55年 南西からの眺め
建築:ル・コルビュジエ、撮影:下田泰也、2016年

第3章│近代のミッション

ル・コルビュジエは2度の世界大戦を経験し、危機の時代から戦後の変遷を生きました。しかし、19世紀の産業革命以降に西洋社会を中心に飛躍的な展開を見た人間の進歩の永続を確信し、躊躇しませんでした。

晩年の10年間、ル・コルビュジエは「人間の歴史は予め決定されており“調和の時代”に向かって進むものだ」と、今日ではあまりに楽観的な世界観をしばしば語っています。これは「偉大なる綜合」と「偉大な精神性の時代」に近づくための段階として抽象芸術を位置付けたカンディンスキーの考えにも通じます。

ここでは、ルシアン・エルヴェのカメラがとらえたル・コルビュジエの建築と、カンディンスキーの版画集『小さな世界』を合わせて展示し、二人の世界観を対峙させます。そして、ル・コルビュジエの絵画の集大成である「牡牛」のシリーズから晩年の3点を、本展のハイライトとしてご覧いただきます。

ルシアン・エルヴェ
《ショーダン邸 南西側ファサードのディテール》
1955年、大成建設株式会社蔵

ル・コルビュジエ《牡牛XVI》
1958年、ル・コルビュジエ財団(パリ)蔵

第4章│やがてすべては海へと至る

ル・コルビュジエは1954年に執筆した論考「やがてすべては海へと至る」のなかでテクノロジーの発達により高度にネットワーク化、グローバル化が進む情報化社会の到来を予見しています。彼はつねに時代の先端技術から着想し建築作品を実現しました。その関心は、電子計算センターや、高度情報能力を持つ大型マルチメディア・プロジェクションの開発を構想したことにも明らかです。

チャンディガールの「知のミュージアム」計画では、インド初の女性建築家ウルミラー・エリー・チョードリー(1923-1995)と協働しました。このプロジェクトは未来の人工知能AIをも予知しているかのようです。1958年ブリュッセル万博フィリップス館で公開した《電子の詩》は、当時の最新技術を駆使し、音楽、映像、建築の各要素を融合させ人類の発展をテーマとした作品で、マルチメディア芸術の先駆けともいえるでしょう。

ルシアン・エルヴェ
《カップ・マルタンの海岸でのル・コルビュジエ》
1951年、大成建設株式会社蔵

ゲスト・キュレイターや、
会場構成にも見どころが

2020年から22年まで国立西洋美術館の客員研究員として滞日したドイツの若手美術史家のロバート・ヴォイチュツケ氏がゲスト・キュレイターとして参画します。

ル・コルビュジエによる国立西洋美術館(世界文化遺産)の建築の新たな解釈を示した近著『未完の美術館』に基づく、これまでにない視点のキュレーションが新鮮です。

会場構成は、気鋭の建築コレクティブであるウルトラスタジオが手がけます。

今回は、ル・コルビュジエの内装に着目して、「インテリア」「コーディネイト」「トランジション」をキーワードに、居住空間のなかに置かれた諸芸術の綜合をイメージして会場を構成します。

ぜひ、パナソニック汐留美術館にて、ル・コルビュジエの20世紀の革新的頭脳の創造の源泉をご体感ください。

他の記事一覧へ

パナソニックの電気設備のSNSアカウント