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Vol.2

睡鳩荘すいきゅうそう(旧朝吹山荘)
[長野県北佐久郡軽井沢町]

ヴォーリズが軽井沢に建てた
野趣あふれる洋風別荘

塩沢湖畔に移築された睡鳩荘。朝吹家はこの別荘で英国スタイルの避暑生活を楽しんだ。移築前は別荘の南にテニスコートがあった。

長野県北佐久郡軽井沢町の睡鳩荘は、W.M.ヴォーリズが設計した実業家・朝吹常吉の別荘。暖炉がある常吉好みの英国調広間や、山荘風の佇まい、充実した調度品も含め、軽井沢に数ある別荘中の白眉ともいわれる。昭和6(1931)年、竣工。平成20年に軽井沢タリアセン内へ移築。

①周囲に菱型のレリーフがある2階妻側の窓。軽井沢は湿気が多い気候のため窓をたくさん設けて風と光を取り込めるようにした。 ②バタ材のような板を張った1階外壁。 ③垂木にも装飾がある。
家族や来客達は広いポーチでテニスを見たりお茶を飲んだりした。広間へ靴のまま入っていける。

かつて中山道の宿場であった軽井沢は明治中期、A.C.ショーの来訪を機に西洋人の避暑地となった。大正期には開発も進み、以降、日本人富裕層も次々と別荘を建てている。

明治38(1905)年、キリスト教伝道のため来日したヴォーリズは建築家としても活躍し、軽井沢でも第二次世界大戦までに数十棟の別荘・教会を建築。矢ヶ崎川河畔、約6,000坪の敷地内に建てた睡鳩荘もその一つであった。

睡鳩荘は地上2階建ての木造で、切妻造り、塩焼き瓦による桟瓦葺き。外観は不揃いの松材を2階下まで横張りにした山荘の趣であり、手の込んだデザインの白いデッキ・窓枠がベンガラ色の外壁に美しく映えている。

広間は居間と食堂を一体化した中世英国のグレートホールにならったしつらえ。登水子がフランスで買った赤いカーテンが濃茶色を基調とする室内を彩っている。テーブルセットはアメリカから取り寄せた物。暖炉には今でも火が入る。

邸内の中心は中世英国領主館のものを彷彿とさせる広間(居間兼食堂)である。太い松の梁を現しにした天井や自然石積みの暖炉、杉皮を貼った腰板など、野趣あふれるしつらえが特徴。フランス窓に似た床面まである両開きガラス窓は採光・通風に配慮したもので、玄関を設けなかった別荘の玄関代わりでもあった。36畳相当のこの広間を常吉の長女・登水子とみこは「日本風に小さく区切られた部屋の配置よりも、まさに一家団欒のできる場所」と回想している。窓を開放すれば奥行きのあるポーチと一続きの空間になり、寛いだ社交の場として来客が集った。英国に留学経験のある常吉は、ここで英国式に暮らした。

広間を取り巻く杉皮張りの腰板と丸太状の桟。野趣のある仕上げ。
幅が広く緩勾配で登りやすい中折れ階段。ヴォーリズは住みやすさを重視した。
デッキの手摺りは白く塗った丸太を複雑に組み合わせてある。

近代建築に偉大な足跡を残したヴォーリズは様々な様式の建物を設計したが、建築家としての主張よりも依頼主の求めに応じ、住み心地や健康への配慮を最優先とする信条を貫いたとされる。常吉から別荘を受け継いた登水子もこの別荘を愛し、毎夏をここで過ごした。

登水子の没後、往時の調度品も展示して一般公開している。

2階には4つの寝室があり、3室がデッキと直結している。床下には階下への遮音のため、おがくずを敷きつめた。 ①東端の主寝室は常吉夫妻用。 ②登水子が書斎として使った中央の寝室。 ③竹柄の軽井沢彫テーブルが置かれた西側の寝室。

  • 移築前の方角で記載。
用語解説
【W.M.ヴォーリズ】
アメリカ出身。近江基督教伝道団(後の近江兄弟社)を結成し、伝道や建築、販売、教育などで活躍した。日本に帰化。
【朝吹常吉】
明治〜昭和期の実業家。三越や帝国生命保険の社長などを歴任。日本庭球協会初代会長。
【A.C.ショー】
宣教師。明治19年に軽井沢来訪、その素晴らしさを国内外に紹介した。翌々年に建てた別荘は軽井沢の別荘第1号。
【朝吹登水子】
フランス文学者、翻訳家。引用元『軽井沢ナショナルトラストだより』No.11
【軽井沢彫】
西洋人の別荘用に作られた洋式家具で松や竹、桜などの彫刻がある。

昭和5(1930)年の平面図

長野県北佐久郡軽井沢町長倉塩沢217

協力
軽井沢タリアセン
監修
株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所
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