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Vol.3

前川國男邸
[東京都小金井市]

戦時下に誕生したモダニズムの木造住宅

前川國男邸のサロン。吹き抜けと大開口窓が広さを感じさせる。南北のガラス戸を開放すると風が行き交うピロティのような空間になる。

東京都小金井市の江戸東京たてもの園内に移築されている前川國男邸は、モダニズムの旗手として日本の近代建築を牽引した建築家の自邸。第二次世界大戦下という制約のある環境で竣工したが、空間構成などにモダニズムの理念を反映、前川の活動の出発点ともいえる作品になっている。

通路に導かれ、訪問者は視線の方向を変えながら玄関に至る。
5寸勾配の大らかな切妻屋根の下、中央にサロン、左右に小部屋を配するシンメトリーの構成。戦時下の資材統制の影響で、丸柱には電信柱を流用したという。
雨戸は戸袋に納め、戸袋ごと90度、回転させることができる。雨戸で開口部をふさがないための工夫。

前川國男は大学卒業直後の昭和3(1928)年に渡仏し、モダニズムの巨匠、ル・コルビュジエのアトリエで約2年間、働いた。帰国後はA.レーモンド建築設計事務所に入所、昭和10年に自身の事務所を設立している。自邸の設計担当は所員の崎谷小三郎で、昭和17年竣工。時は第二次世界大戦のただ中であった。

外観を印象付けるのは、破風板が軒先に近づくほど幅広になる切妻屋根と南面中央の棟持柱むなもちばしら風の丸柱である。これらについては崎谷が、伊勢神宮からインスピレーションを受けたと語っている。モダニズム特有のフラットルーフを採用しなかった背景には、坂倉準三が設計した木造・幻配屋根の飯箸邸の影響がうかがえる。

玄関を入り、大扉を抜けると高さ4.5mの吹き抜けが広がる。当時は延床面積を100㎡以下とする制限があったため、「高さ」が得られる建物中央を吹き抜けにして大空間を造った。南面は妻側だが窓に庇を設けず、軒の出を長くすることで雨仕舞をし、日差しを制御。大開口を確保して全面をガラス窓としている。

サロン南側の格子窓はレーモンド設計の東京女子大学礼拝堂からヒントを得たものという。下のガラス戸のレールは木製。当時は金属が入手しにくかったという。
大扉が視線をさえぎるので、入室時に吹き抜けの印象が際立つ。
2階も特定の目的を持たないスペースとして造られ、自邸が事務所を兼ねた時期には製図台が置かれていた。

開放的で居心地の良いこの空間を前川はサロンと呼んだ。自邸は一時期、事務所を兼ねており、サロンには前川夫妻や所員、来客が集った。特定の用途を与えず、モダンにデザインされた空間はモダニズムの理念に基づくものである。そして、南北のガラス戸が広く開けられるサロン、丸柱の立つ軒下という一続きの空間で、木造住宅ながらコルビュジエが提唱したピロティに似た構造も実現した。

北側中央にも丸柱が立っている。ロフト状の2階は約8畳相当の広さ。飾り棚の鏡板は持ち上げて外す「けんどん式」で、2階から物を出し入れした。
前川が設計した天板が台形の食卓。着席すると視線が庭に向く。
①左奥の台所へ続く入口とサービス用小窓。アーチ型扉を開けていても台所は直に見えない。 ②近代的な台所。

コルビュジエやレーモンドの元で学び、独立後、程なく手がけた自邸には、その後の前川の活動につながる意欲的なデザインが散りばめられている。また、現存するモダニズムの木造住宅としても貴重である。

寝室の障子は壁に寄せることができ、窓が目一杯、広がるようになっている。
来客用寝室の洗面台と押入れ。右に靴入れがある。
戦時下とは思えないモダンな浴室。
用語解説
【A・レーモンド】
F.L.ライトとともに来日し、モダニズムの作品を多数残した建築家。
【坂倉準三】
前川國男の紹介でコルビュジエに師事。日本でモダニズム建築を実践した。飯箸邸は昭和16年竣工。
【制限】
木造建物建築統制規則(昭和14年)
【ピロティ】
「近代建築の五原則」の一つ。

東京都小金井市桜町3-7-1

協力
株式会社前川建築設計事務所/
江戸東京たてもの園

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