亜熱帯気候に耐える知恵が詰まった住まい
Vol.5
中村家住宅
[沖縄県北中城村]
日本本土のはるか南西、東シナ海に位置する沖縄は、古くから日本だけでなく中国とも深い関わりがあった。このため、伝統的な住まいには両国の影響が見られる。また、厳しい暑さや台風といった亜熱帯気候に耐える工夫にも特徴があり、沖縄ならではの建築様式が育まれた。中村家住宅は18世紀中頃に建てられた豪農の屋敷で、1972(昭和47)年の沖縄本土復帰と同時に国の重要文化財に指定されている。
中村家住宅の母屋と離れ座敷は、1720年頃、3代目・まつ仲村渠(ナカンダカリ)が首里の士族の住まいが解体されたときに出た古材を購入し、建築したものといわれている。
当時の琉球王国では、建築の際に中国から伝わった風水(フンシー)を重要視した。中村家でも南向き緩斜面の北側を掘り下げて敷地を拓いていること、建物正面が南から西へ15度ずれた方角に向いていること、首里の役人を泊めるための離れ座敷や客間(一番座)を良い方角とされる南東に配置していることなど、随所に風水の考えを取り入れている。
一方、建築形式は日本本土の木造建築の流れをくんでいる。沖縄で貫木屋(ヌチジヤー)と呼ばれる形式は、寺社建築などにみられるもので構造部材にほとんどくぎを使用しないのが特徴の一つ。屋根の反りは中国の影響を受けているといわれる。
貫木屋以前の住まいは掘建て小屋のような簡素な造りだったが、貫木屋になり、天候に対する工夫も多様化した。
漆喰で固めた赤瓦屋根や、敷地の3方を囲む琉球石灰岩の頑丈な石垣は台風への備え。ことに南側にはフクギも植えられて、台風がもたらす南東からの暴風雨を防いでいる。屋根は庇のように長く、「雨端」と呼ばれる形になり、雨や厳しい日差しをしのぐのに役立っている。表の座敷は間仕切りをせずに使うことがほとんど。そうすることで、穏やかな南風が家を通り抜け、暑さを和らげてくれる。赤瓦の下に多くの葺き土を盛るようになったことも断熱効果に一役かっており、「日の当たらない家の中は、外部より4、5度、温度が低い」と言われている。
太平洋戦争で、戦禍に見舞われた沖縄では伝統的な住まいのほとんどが失われた。沖縄らしい特色を今に伝える中村家住宅は貴重な遺構となっている。
- 【首里】
- 琉球王国時代の政治、経済の中心地
- 【風水(フンシー)】
- 地気・地勢・陰陽五行・方位などを考え合せて、都城・住宅・墳墓の地を定める術
沖縄県中頭郡北中城村大城106
- 協力
- 有限会社大賀