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Vol.7

盛美せいび[青森県平川市]

西洋文化との調和を模索した明治期の邸宅

日本三名園の一つと称された庭園を客間から望む。枯山水と池泉回遊式庭園が一体となり、見る者を飽きさせない。

青森県平川市の盛美館は明治期の名園、盛美園を鑑賞するために建てられた清藤せいとう家の別邸。和洋を大胆に組み合わせた造りで、2階にシンボルともいえる洋風の展望室がある。西洋文化が浸透しつつあった時代に、旧家の財力を背景として建設された和洋折衷の住まいが異彩を放っている。

和洋折衷のたたずまいに、西洋文化と出合った明治期の人々の創意が感じられる。

清藤家は鎌倉期から続く旧家で、24代盛美もりよしは銀行創設に参画するなど、明治期の経済発展に貢献した人物であった。
1902(明治35)年、盛美は盛美園造営に着手。江戸末期~近代に津軽で流行した作庭様式「大石武学流」の小幡おばた亭樹ていじゅのもと、9年を費やして庭園は竣工した。3,600坪の敷地には手前に枯山水、奥に池泉回遊式庭園があり、築山の木立の間に視界を開いて遠く梵珠山ぼんじゅさんを借景としている。かえでや松といった木々と石組みの趣も格別で、大石武学流庭園の代表作とされる。

盛美館は庭園造営中の1909(明治42)年に建設された。1階が和風、2階だけを洋風建築とする和洋折衷の外観が異色である。北東角には宙に浮くかのように見える八角形の展望室があり、銅板製の屋根やせん塔も目を引く。棟梁の西谷にしや市助いちすけは津軽で多くの洋館を手がけた建築家・堀江佐吉の弟子であった。

空中楼閣とも呼ばれた展望室。1階の2本の柱が重さを支えている。
洋風の展望室から真の築山、行の築山、草の平庭など、日本庭園を見渡す。

館内1階の中心は贅を尽くした数寄屋造りの客間。雪見障子と縁側の引き戸を開くと客の視線は枯池から築山へと誘われ、奥行きのある風景が堪能できる。一方、2階展望室は庭園の全容をぐるりと見渡せる広い視野が特長。津軽の自然を遠望する魅力もあり、25代辨吉はこの眺めを好んだといわれている。

2階の3室も畳敷きの和室であるが天井を漆喰仕上げとして洋風の照明を設置、床の間にはスタッコ塗りを駆使した床柱や落としかけをしつらえるなど、随所に独創的な意匠が見られる。

国の名勝に指定された庭園と和洋折衷の邸宅。その不思議な調和が、明治という時代のムードを今に伝えている。

2階主人室。漆喰仕上げの天井に見事な細工のセンターピースがある。
大理石のように見える漆喰の床柱と落とし掛け。優れた左官技術が求められる。
1階客間の書院窓にみられるくもの巣をかたどった細工。
2階夫人室の透かし欄間。
用語解説
【日本三名園】
京都の無鄰菴、清風庵とともに、明治期の三名園ともいわれる。
【スタッコ塗り】
化粧漆喰。盛美館では漆喰に大理石の粉を混ぜ、大理石のようなつやが出るように磨き上げている。
【落とし掛け】
床の間上部の小壁に取り付ける横木。

青森県平川市猿賀石林1

協力
盛美園

2階は非公開。特別許可を得て撮影。

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