• 商品コラム PRODUCT COLUMN
  • 設計のヒント DESIGN HINT
  • イベント・ウェビナー EVENT WEBINAR
  • 動画 MOVIE

Vol.9

旧三井家下鴨別邸[京都府京都市]

旧財閥一族の由緒を伝える別邸

大正14年に竣工した下鴨別邸。明治期建造の木屋町別邸を移築して主屋とし、左に玄関棟を新築、右に江戸期の物と伝わる茶室を配している。

京都市左京区、ただすの森の南に佇む旧三井家下鴨別邸は三大財閥の一つだった三井家の別邸。3階の望楼が目を引く主屋は明治初期、木屋町に建てた隠居家であったが、大正14(1925)年に移築し、同時に改修・増築を行って一族が祖霊社を参拝する際の休憩所とした。国指定重要文化財。

望楼・中3階が目を引く主屋。目立たない所に壁を作ったり床にブレースを入れたり、建物の強度を高める工夫が見られるという。
玄関棟の屋根瓦に見られる家紋「四つ目結」。古くは武家であった歴史を伝える。
茶道家で造園にも秀でた藪内竹翠・節安が手がけた庭。元からあった園地を改修し、近代庭園には珍しく主屋前に苔を敷き詰めている。

三井家は江戸期に隆盛を極めた呉服・両替商で、明治期には銀行、貿易、海運、繊維など主要産業に進出して大財閥に成長した。一族の総領家8代当主・三井八郎右衛門高福たかよしは事業家として財閥形成に貢献。引退後は明治13(1880)年に建てた木屋町別邸を隠居家とした。それが後の下鴨別邸の主屋となる。

木屋町別邸は間口に比べて奥行きが長い敷地に建ち、中程に採光・換気の役も担う庭を設ける京町家風の造り。内外ともに簡素な意匠だが、3階に四方がガラス窓の望楼を頂く。その偉容は富裕層のステータスであったといい、鴨川、東山への眺望を誇った。高福没後、9代高朗たかあきもここで隠居生活を送っている。

かつて三井家の祖霊社は太秦の木嶋このしま神社境内にあったが、糺の森の南に約2万㎡の土地を購入し、明治42年の遠祖・高安三百回忌に合わせて遷座。大正14年に参拝時の休憩所となる下鴨別邸を建造した。先祖を祭る地に木屋町別邸を移築したのは、由緒を残す意図があったとも考えられている。

下鴨別邸は主屋、玄関棟、茶室からなる。新築した玄関棟は書院造を基調としつつ、絨毯敷き、椅子座を取り入れる近代的なしつらえ。

主屋座敷。庭園を堪能できる開放的な造り。祭礼時は茶席となった。輸入材のビンロウジュの床柱など、高価な木材が使われた床構え。
主屋東庭。京町家同様、建物中央に庭を設けている。
1階座敷を茶席とするため、主屋にも水屋をしつらえた。

茶室は三井家以前の所有者が慶應4(1868)年頃に造ったとされるものを改修した。施主の10代高棟たかみねは普請道楽だった人物で、これら3棟は「真行草」を表しているともいわれる。祖霊社における祭礼は昭和初期まで行われ、主屋1階座敷は参拝者の茶席となり、2階客室では一族が寛いだ。また、玄関棟広間は関連企業の重役等の控室に当てられた。

明治期に豪商が建てた和風建築がほとんど現存しないなか、下鴨別邸は大規模別邸の屋敷構えを良好に残しており、同時に、財閥の繁栄ぶりを伝えるものとして貴重である。

玄関棟洗面室。壁板は当時、高級だった合板。
主屋南浴室。新築したが余り使用されなかった。
主屋2階便所。便器は和洋どちらにも使えた。
①望楼への階段を隠す木製シャッター。 ②算盤状レール。
3階の望楼は一間半四方で、全方向がガラス窓。東山・鴨川へ開ける眺望が素晴らしい。
視界を広げるために窓の位置には一切、壁を造っていない。雨戸は腰壁にある戸袋から引き上げる。
戸袋には横長の雨戸が収納されている。
用語解説
【糺の森】
京都市左京区の賀茂御祖かもみおや神社内の森。
【祖霊社】
先祖累代の霊を祭った社。
【遠祖・高安】
近江の武士・三井越後守高安。織田信長によって主家が滅びた後、松阪へ逃れた。三井グループの家祖・高利の祖父。
木嶋神社
養蚕の神。三井家は呉服を商うことから信仰していた。
真行草
最も格式の高く整った真、その対極に位置する最も破格の草、中間の行。庭園などでの様式表現法の三体。

京都市左京区下鴨宮河町58番地2

協力
公益社団法人 京都市観光協会
他の記事を見る

パナソニックの電気設備のSNSアカウント