明治期の福島で偉容を誇った擬洋風建築の私邸
Vol.10
旧亀岡家住宅[福島県伊達市]
福島県の伊達市保原総合公園に移築されている旧亀岡家住宅は、蚕種販売で財をなし、政界に進出した亀岡正元が明治後期に建てた私邸。八角形の塔屋がある洋風の外観に対し、邸内はほぼ和風の造りで当時の農家には珍しい擬洋風建築である。平成28年、国の重要文化財に指定。
福島県伊達市一帯は、江戸後期から養蚕業で栄えた土地柄。明治期には高品質の蚕種を全国に販売、欧州へも出荷した。亀岡家は蚕種製造を手掛けた豪農で、分家した亀岡正元も一代で富を築いている。
旧亀岡家住宅は明治37(1904)年頃の竣工であることが近年の研究で明らかになった。設計は福島県技手・江川三郎八とされるが、それは江川が転任後の岡山で多数、設計した「江川式」と呼ばれる洋風建築と当住宅に類似性が見出されることによる。
建物は2階建座敷棟と、接続する平屋の居住棟からなる。座敷棟は正面中央に八角形の塔屋を配し、塔屋3階部分を展望室とする。大棟は鬼瓦に代えて大型ランタンを2基、中央にレンガ積み煙突を置く独創的な造形。下見板に銅板を張った外壁には鉄格子付きの引き違いガラス窓を並べ、玄関にはハンマービームのような梁がある付け柱を設けてアーチを作るなど、趣向あふれる洋風の外観を見せる。
一方、内部は和風で座敷の多くが書院造りである。座敷棟では地元有力者や県会議員を接待したともいわれ、唯一の洋間である「主人書斎」で来客を迎えた。家族は居住棟と座敷棟東側の居間で暮らしたと伝わる。
座敷の床まわりや欄間、天井は黒柿、紫檀、鉄刀木、欅、埋もれ木といった多様な銘木で贅を尽くしてしつらえられ、棟梁・小笠原國太郎の素晴らしい大工技術が光る。また、格子戸の亀甲文組子など、随所に遊び心を感じさせる縁起物の細工もある。
明治期の福島県において進取の気性に富む建築主と設計者、伝統技術を持つ棟梁が旧亀岡家住宅を生み出した。それは私邸ながら時代を物語る擬洋風であり、加えて意匠的にも優れた、貴重な建築遺産である。
- 【蚕種】
- 和紙に蚕が多数の卵を産みつけた製品。幕末までに現在の伊達市周辺で特産地が成立。
- 【江川三郎八】
- 宮大工修業を経て、福島県技手となる。岡山県技手としては旧遷喬尋常小学校などを設計。
- 【ハンマービーム】
- 片持ち梁
- 【鉄刀木】
- マメ科の常緑高木。インド・マレー原産。板目の紋様が美しく、建築・家具などの用材とされる。
- 【埋もれ木】
- 地層中に埋まった樹木が長年の間に炭化して化石のようになったもの。
- 【鼓張り】
- 分断した床柱の小口に板をはめ込んでいる。叩くと鼓のような音がする。
福島県伊達市保原町大泉宮脇265 伊達市保原総合公園内
- 協力
- 福島県伊達市