那須野が原の大農場に建てられたドイツ翁の邸宅
Vol.15
那須野が原の大農場に建てられたドイツ翁の邸宅
栃木県那須塩原市の旧青木家那須別邸は、明治期にドイツ公使などを歴任した子爵・青木周蔵の邸宅。原野だった那須野が原を開拓し、大農場を経営した青木がドイツ派の建築家・松ヶ崎萬長の設計で明治21(1888)年に創建。大規模な増築を経て現在の姿となった。国指定重要文化財。
明治前期、那須野が原では政府の殖産興業政策を背景に元勲や旧藩主が開拓と農場経営に進出した。ドイツ公使を長く務め、「ドイツ翁」と呼ばれた青木周蔵もその一人で、ドイツの貴族地主に憧れ林間農場を経営。ドイツで建築を学び、技術を日本に伝えた松ヶ崎萬長の設計で木造の西洋風別荘を農場内に建設した。
創建時は中央2階建て(中央棟)のみであった。蔦や鱗形の白色スレートをまとった外観が那須の緑に映えて美しい。マンサード(腰折れ屋根)風の屋根は上部を急勾配にした変則的な形状。頂部の物見台や、懸魚のような飾りを付けたドーマー窓も松ヶ崎が好んだスタイルという。架構法には半小屋裏と呼ばれる、ドイツで多用される小屋組を採用。腰壁を約1m立ち上げ、その上に小屋組を載せることで小屋裏を広く、利用しやすくしている。また、筋交いなどの斜め材を多用した堅牢な軸組もヨーロッパの伝統的な工法である。
中央棟右の棟(付属棟)2階には、ハンマービームトラスをモチーフとする窓があるが、これもヨーロッパの木造建築において屋根やひさしを支える工法として知られている。
付属棟および東、西の平屋は明治42(1909)年竣工の増築時に追加され、青木やドイツ人の妻・エリザベイトが起居する本邸の機能を備えるようになった。2階には畳部屋も造られたが、畳に座るのは苦痛と論文に書き残しており、青木用ではなかったと推測されている。内装は板張りにペンキ塗りまたは、クロス張りのシンプルな造りで、天井の化粧梁や化粧柱の西洋風デザインが目を引いている。この別邸は那須野が原で農場経営をした華族の暮らしを伝えるものとして、また、松ヶ崎の日本に残る唯一の作品として貴重である。
栃木県那須塩原市青木27
3階小屋裏など一部非公開