大正・昭和の実業家が営んだ熱海の別邸
Vol.18
大正・昭和の実業家が営んだ熱海の別邸
静岡県熱海市の旧内田信也・根津嘉一郎別邸は、内田が大正期に建てた和館に、次の所有者・根津が庭園と西洋やアジアの意匠をちりばめた洋館を追加したものである。その後、桜井兵五郎によって昭和22(1947)年から旅館・起雲閣となり、多くの文人を迎えた。熱海市指定有形文化財。
温暖で温泉に恵まれた熱海には、当時、大正天皇の御用邸をはじめ、資産家の別荘があった。内田信也も内田汽船を創立して海運王と呼ばれた人物で、列車事故に遭った母の療養のために大正8(1919)年にこの別邸を建てた。母屋1階の「麒麟」は二段長押、四方柾の柱が格式の高さをうかがわせる和室。離れ「孔雀」は母の居室だが、どちらも段差をなくした畳廊下で部屋を取り巻く入側造とし、車椅子生活の母に配慮したものとなっている。
サンルームのステンドグラスは、明治期の日本に初めて技術を持ち帰った宇野澤辰雄の流れをくむ工房が製作した。洋館の屋根瓦①も床のタイル②も泰山タイル。
「玉渓」は柱を現し、手斧(ちょうな)の削り跡を見せる名栗(なぐり)仕上げ①を施した山荘風の洋間。入り口天井のすす竹や、床の間に見立てたとされる暖炉周りは和風の趣向を感じさせる。
大正14年、鉄道王の異名を持つ実業家・根津嘉一郎に売却されると、根津は敷地を約3,000坪に拡張し、自ら采配して池泉回遊式庭園を構築、個性あふれる部屋を増築していった。昭和4(1929)年竣工の「金剛」は、イギリス風の応接間だが、中国模様のステンドグラスや、螺鈿細工を施した化粧梁が異彩を放っている。敷地内で発見された温泉を引く「ローマ風浴室」もステンドグラスで装飾した。
家人用の応接間「金剛」。一般的な洋間には用いない螺鈿細工が見られる。化粧梁のスペードやハート型模様のほか、木くぎの頭などにも輝く貝を貼って装飾としている。ステンドグラスや、サンルーム(写真奥)の床タイルには中国風の模様が見られる。
昭和7年には来客用応接間「玉渓」、サンルームを併設する食堂「玉姫」が完成。「玉渓」は中世イギリスのチューダー様式を基調とした建築ながら、暖炉を床の間に、奈良の古刹の山門だったとされる円柱を床柱に見立てているとも言われる。暖炉を飾るアジア風レリーフやサンスクリット文字など、多様な意匠が折衷され、室内装飾は独特の雰囲気である。「玉姫」で目を引くのは中世ヨーロッパにルーツを持つ金唐革紙を貼った折上格天井。ここにも和洋のしつらえが混在する。一方、サンルームはアール・デコのデザインで統一され、天井一面のステンドグラスや約2万枚の泰山タイルを敷き詰めた床が華やかである。
桜井兵五郎はこれらを回廊で結び、客室を増やすなどして起雲閣を開業。平成11年の廃業までに太宰治や志賀直哉らが投宿した。
静岡県熱海市昭和町4-2