雪国のくらしの知恵が息づく町家
Vol.21
雪国のくらしの知恵が息づく町家
青森県黒石市の髙橋家住宅は、宝暦13(1763)年頃の建造で、津軽地方の伝統的な商家の造り。江戸期以降、当地の家々の前に造られていた「こみせ」と呼ばれる木造の庇も備え、近隣の建物とともに雪国のまち特有の景観を形成している。国指定重要文化財。
黒石藩は江戸初期の明暦2(1656)年創立。初代藩主・津軽信英は陣屋を築造、侍町や商人町などを加えて新しく町割りを行った。商人町の中町や前町を通る浜街道は青森や弘前と黒石を結んでいたため、多くの人が往来して商家は繁盛した。藩御用達の豪商として米や醤油、味噌を商う髙橋家も中町にあった。
髙橋家主屋は切り妻造、妻入りで、吊り上げ式大戸をくぐると2間幅の通り土間が裏まで伸びている。冬に雪で使えない庭に代えて作業場にしたことから土間を「にわ」と呼んだと伝わる。天井を貼らず梁を現しとし、壁上部に吊り上げ式障子窓をしつらえて換気や明かり取りに使用している。通り土間に沿って、表から順にみせやじょうい(茶の間)などの部屋が2列に並ぶのも特徴。2階には藩主が訪れた時のための隠し部屋があり、1階じょういのふすまで隠された、たんす階段で上る仕掛けになっている。中秋の名月には、隠し部屋の障子を開け放ち1階じょういから眺めたという。
こみせは主屋1階の高さに合わせて付けた庇。髙橋家のものは約36mにわたって続く。江戸期に信英が町割りをした際に始まったとされ、最盛期には黒石で総延長約4.8kmに及んだ。両隣と連続してアーケード状になり、雪や夏の日差しから往来する人々を守ってきた。14代当主髙橋幸江さんは「昭和中頃、雪でも傘を持たず、こみせを通ってまちの方々へ出かけていました」と話す。こみせは私有地だが半公共の通路として維持されてきた。それはまちを挙げて雪下ろしを行うように、人々に共同体意識が育まれているからともいわれる。
中町こみせ通りには、こみせがまとまって残り、髙橋家などの貴重な建物も受け継がれているため、一帯は重要伝統的建造物群保存地区や日本の道100選に選定されている。


青森県黒石市中町38