江戸~昭和初期にわたり拡張を続けた伊勢商人の大邸宅
①本うだつ ②袖壁 ③幕板 ④子持ち格子の出格子 ⑤出桁造:桁を胴差より前に出した収まり。建物が重厚な雰囲気になる。
Vol.23
江戸~昭和初期にわたり拡張を続けた伊勢商人の大邸宅
三重県松阪市の旧長谷川治郎兵衛家は、江戸で松坂木綿を商った伊勢商人の本家。江戸中期に創建され、商売の拡大や文化交流の場とする必要から敷地を拡張、新・増築を繰り返した。30以上の部屋と5つの蔵をもつ大邸宅が伊勢商人の暮らしを今に伝える。国指定重要文化財。
延宝3(1675)年、長谷川家創業の祖・3代正幸は江戸大伝馬町で木綿仲買商として独立。店を支配人に任せて故郷の伊勢国松坂に戻り、江戸中期に本家を創建した。江戸に店を持つ伊勢商人の多くは故郷に居を構えて資産管理や人事を行い、手紙で江戸に経営方針を伝えた。
長谷川家は当初、現在地の中央付近に間口7間ほどで奥行きの長い敷地を得、通り土間や店の間、台所などがある主屋主体部を建てた。その後、北や南に隣接する敷地を取得して享保6(1721)年建造の大蔵をはじめ、新蔵や米蔵の新築、主屋南側の増築を順次行った。
主屋の大座敷は棟札から天明2(1782)年の増築と分かっている。そのさらに北に茶室の今日庵が造営されたのは文政10(1827)年であった。この頃には、当主は紀州藩役所の御用も務めるようになっており、一方で代々の当主は余暇に茶道や俳句、和歌をたしなんだ。
大正2(1913)年、今日庵を敷地西側へ移築。翌年、跡地一帯に洗練された近代和風建築と評される大正座敷が増築された。大正座敷の広間は上質材を用いた床や付書院、繊細な細工の欄間をしつらえた本家一格式の高い座敷である。ここは宮家などさまざまな賓客の接待に使われたが、その際には通りに面した北表塀の貴人口を開き、待合や袴付のある表庭から座敷に迎え入れたという。
長谷川家の日本庭園の中で最大規模を誇るのは敷地西側、背割排水の向こうに広がる回遊式庭園である。明治期に入って購入した紀州藩奉行所跡地で、離れや四阿などが建つ。
建物群の中で離れだけが南西向きに建つのは、借景に松坂城の姿を楽しむためであった。商売の隆盛とともに拡張され、文化交流にも利用された長谷川家。その建物が現存し伊勢商人の暮らしが垣間見られることは貴重である。
三重県松阪市魚町1653