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Vol.31

旧小西家住宅
[大阪府大阪市]

大阪道修町に明治期から受け継がれる大商家

旧小西家住宅は、明治末期における大阪の大商家の屋敷構造を今に伝える貴重な建物である。第二次世界大戦の戦火や阪神淡路大震災の災禍をくぐり抜けてきた。

大阪市中央区の旧小西家住宅は、古くから薬の町として栄えた道修町で明治期に薬種問屋として創業した大商家。店と住居兼用の屋敷は近代の大阪商家の特徴が顕著な名建築として知られ、120年余を経た現在も高層ビルに囲まれた創業地で風格ある佇まいを見せている。国指定重要文化財。

道修町で威容を誇る旧小西家住宅。(写真右から)店舗棟、居住棟、蔵が並ぶ表屋造が特徴。瓦屋根と黒漆喰の高い壁面が美しい。画象提供:コニシ株式会社
(左)堺筋に面して建つ衣裳蔵には家財道具を収納した。(右)居住棟との接続部に非常口があるが、壁面と同じ杉板張りで目立たない。
表玄関前の前庭。巨大な踏み石が店舗棟と居住棟を結ぶ。

小西家は大阪の道修町で明治3年(1870年)に薬種問屋として創業。二代目小西儀助の類まれな商才によって商いは発展をとげた※。明治33年、儀助は三方が堺筋などの通りに面する一等地に、320坪余もの広大な土地を購入。約3年をかけて旧小西家住宅を建造した。

レンガ積みのへっついや井戸がある通り庭。番頭は板床で、丁稚達は土間で慌ただしく食事をとるのが常であったという。奥の座敷は台所と呼ばれ、家人の暮らしの中心。
炊事場の煙や湯気がこもらない吹き抜け。小屋組の長大な梁が建物の規模を物語る。

建物は南から店舗棟(表屋おもてや)、居住棟、蔵からなり、それぞれの間に庭を配する表屋造である。店舗棟は2階の階高が高い本二階建で、正面2階を奥に引き込まず、外壁を1階と同じ面にしつらえる大坂建を特徴とする。当初、間口は14間であったが、明治末期の市電開通、堺筋拡幅にともない、西側にあった貸家を撤去し、敷地を提供した。この軒切りによって黒漆喰塗込めの外壁が20間にわたって続く、現在の西側外観が生まれた。また、大正12年(1923年)の関東大震災後、防災の観点から居住棟3階も撤去し、今日に至っている。

2階の夫人の居室。琵琶床や平書院を備えた床構え。西側に接して子供部屋がある。
(左)夫人の居室。腰付きガラス障子の意匠。
(右)2階の賓客用座敷。ガラスをはめた欄間。

居住棟1階の中心は、儀助の居室だった座敷。柾目の栂とが材をふんだんに用い、奥行きの深い床の間、二間半通しの落し掛けといった力強く明快な構成の一方で、書院窓の数寄屋風意匠や柾目の桐材に金箔をあしらった欄間など、繊細で凝った細工も見られる。また、2階の賓客用座敷や夫人の居室の床構えも儀助のこだわりを感じさせるしつらえである。

1階の儀助の居室。屋敷建造にあたり、儀助は全国から良材を集めた。その一端がこの座敷にも垣間見える。近年まで社長室であった。
儀助の居室に見られる凝った意匠。(上)欄間(下)7、5、3に組んだ竹格子の書院欄間。

大店が建ち並んでいた当時の道修町でも、小西家の規模は群を抜き、家人と従業員・使用人を合わせて55人という大所帯であった。豪壮な小屋組が目を引く通り庭には大きなへっついがあり、往時をしのばせている。

居住棟北側の風雅な前栽を望む。敷地内の2つの庭には店、住まい、蔵を隔てる役割もあった。左奥が衣裳蔵。

昭和46年(1971年)まで住居兼社屋であり、現在も関連会社が店舗棟の一部を使用しているが、近代大阪商家の特徴を良く残したまま受け継がれている。

  • その後、小西儀助商店は、合成接着剤「ボンド」のメーカーであるコニシ株式会社として発展しました。

大阪市中央区道修町1丁目6番9号

協力
コニシ株式会社

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