人馬が一つ屋根の下に暮らした曲り家
Vol.27
人馬が一つ屋根の下に暮らした曲り家
南部地方(岩手県北部、青森県東部)に見られる古民家の曲り家は、母屋と馬屋を直角に連結したL字型の構造で知られ、馬が人と同じ建物で暮らしていた。岩手県遠野市の千葉家住宅は江戸後期の創建で、南部曲り家屈指の規模。特徴的な屋敷構えを今日まで良く残しており、貴重な建物である。
かつての千葉家は遠野に広大な田畑や山林を所有する豪農であった。屋敷は山麓を開墾し石垣を組んで造成した約800坪の敷地に建ち、重厚な茅葺き屋根の建物が遠野街道に面した高台で偉容を誇っている。創建時の江戸後期天保年間(1830~1844年)は大飢饉に見舞われた時期であったため、いわゆる「お助け普請」として、困窮する人々を雇って屋敷を建てたと伝わる。
南向きの母屋は寄棟造で、西に入母屋造の馬屋が突出している。L字型の建物は冬の卓越風(北風、北西風)を遮り、ほらまえ(前庭)は日だまりとなって寒さが和らいだ。母屋の小屋組は和小屋組、馬屋は扠首組。馬屋の小屋組が母屋の小屋組に乗る構造で、やや緩く接続されているが、これは地震などの揺れに対して効果的な工夫である。
屋内はニワ(土間)が居住域と馬屋をつなぐ間取りになっている。ニワに接した台所が生活の中心であり、馬屋は常に人の目が行き届いて飼育に便利であった。冬には台所の囲炉裏から暖気が馬屋の破風に向かって流れ、多少なりとも馬を温めた。また、ニワで馬屋を隔てたのは衛生上の配慮でもあった。
台所の東には六間取りの座敷が続き、瀟洒な造りの客間もみられる。肝煎り(庄屋)を務め、最盛期には家人10名、使用人15名と20頭ほどの馬がいたという千葉家の繁栄ぶりが伺える。大正期頃には曲り家としては珍しい2階2室も増築され、今に至っている。
敷地内には曲り家はもとより、江戸から大正期にかけ建てられた土蔵や大工小屋、大規模なハセ小屋も現存するほか、平成25年まで家人が暮らして創建当初の地に建物が残されているなど、その文化的な価値は高く、平成19年に国の重要文化財に指定された。
岩手県遠野市綾織町上綾織1地割14
現在、修理工事中。令和9年度完成予定。