広報誌掲載:2014年11月
オリエント・エクスプレスの九州版ともいえる、日本初のクルーズトレイン『ななつ星 in 九州』が好評を博している。車両という制約のある空間に、贅をこらしたインテリアと光の環境が創り出されている。あたかも走る豪華ホテルともいえる列車の総合デザインを担った水戸岡鋭治氏に、意匠と機能が融合する空間をつくり出す難しさをたずねた。
私がはじめてアートディレクションを担当し、1987年にオープンした『ホテル海の中道』が好評で、そこにアクセスするためのリゾート列車をホテル側からJR九州にデザイン提案したところ、JR九州が私の案に興味を持たれ、海の中道に向かう香椎線を走るジョイフルトレイン『アクアエクスプレス』のデザインを依頼されました。
鉄道に関する知識のない外部デザイナーに委託することについて、内部の反対が大きかったことは、想像に難くありません。しかし、JR九州は「これまで内部の旧国鉄の専門家やデザイナーに依頼してきたが、面白いものはできなかった」と言われ、手練れのプロより無垢な素人の発想を尊重されたのです。「既成概念にとらわれず、感性で、いまだかつてない提案をして欲しい。社内的には手続きやルールなど多くの制約はある。それは私たちが担当するので、色使いや形については自由にやってくれ、一切社内でチェックしない」とも言われました。
完成した車両は話題となり、その後、『787系つばめ』、『ソニック』、『かもめ』、新幹線『つばめ』、D&S列車など、JR九州とともに、次々に車両を発表していきました。
私はイラストレーターとしてスタートし、インテリアや住宅から工業デザインに入っていきました。しかし考えてみると、システマチックにつくられたモノは住宅もすべて工業デザインです。その中に、クルマや車両のデザインも含まれると解釈しているので、何の違和感もありません。
ただ、既成概念の壁はそんなに容易に超えられるものではありませんでした。ある時、真っ白な車両を提案しましたが、旧国鉄のDNAを継承するJRでは、白い車両はタブーでした。煤を吐きながら走る蒸気機関車が車両を汚してしまうという根強い意識が残っていたからです。現場から色をグレーにしてほしいと言われましたが、社長は美しいからやりましょうと、白に決まりました。それほど、判断力のある社長だったのでJR九州の改革も急速に進んだのでしょう。歴代のJR九州の社長は皆、素晴らしい発想と決断力をお持ちでした。4代目社長である唐池恒二氏も希代の経営者で、「求めているのは製品ではなくお客様が喜び、うれしくなる商品だ」と、ぶれることはありません。このようなリーダーだから『ななつ星 in 九州』プロジェクトも一気呵成に進んだのだと思います。
787系つばめは、今回のななつ星と同様に、今までにない車両を考えてほしいということでスタートしたプロジェクトです。それまでのリニューアルデザインとは異なり、基本コンセプトから、外観、内装、システムまでを総合的にデザインしました。私の中では、ななつ星を除けば、一番良くできている車両は787系だと思い込んでいます。
当時、博多駅から西鹿児島駅(現在は鹿児島中央)まで、4時間10分かかりました。この長旅をお客様が飽きずに乗り続けることができる特急列車を、サービスの段階から検討したのです。長旅を堪能できるために考えたのは「食」でした。移動する中で景色を見ながら食事をすることは、感動を与え、記憶に残ります。しかし、食堂車の提案は猛反対を受け、ビュッフェという形で生かされることになりました。そして、個室のようなセミコンパートメントを持った車両が完成しました。全体を貫くコンセプトは「建築空間をつくる感覚で、街並や住宅、ホテルを車内に持ち込むこと」でした。照明計画にしても「鉄道では前例がない」と反対される中、多彩な種類の照明器具を用い、直接照明・間接照明、ダウンライトなど、あらゆる照明手法を駆使。これが評価され、「Nashop Lighting Awards」を受賞しました。今見ても贅沢な車両だと思います。787系はコンセプトモデルとしてすべての要素を盛り込みました。しかし、その後列車の速度が上がり、車内での滞在時間が短くなると、列車に求められる機能も単純になるので、デザインもシンプルになります。その例が通勤列車です。
そういう意味では、ななつ星は3泊4日のクルーズなので、とても複雑なシステムが必要になります。まさに、車両の中に街並や住宅、ホテル、レストラン、バーをつくり、居住空間を移動させるという、非常に困難なプロジェクトでした。豪華寝台列車なので、車両の中にはキッチンやシャワー、トイレがあり、リビング、ダイニングがあります。ホテルと同じような空間を制約されたスペースに詰め込まなくてはいけないという、ジグソーパズルのようなデザインが求められたのです。
ヨーロッパの豪華寝台列車『オリエント・エクスプレス』は上流階級や貴族などが利用する特別な乗り物です。しかし、それを日本で走らせるといっても、階級制度のない日本で、どのような豪華寝台列車の空間をつくれば良いのか試行錯誤の毎日でした。しかし、私が考える日本流の豪華寝台列車をJR九州の技術でつくるしかないと肝を据えた時から、全体のあるべきサービスや必要とされる機能が明確になり、限られた空間の中で実現できる解を、一つずつ捜していきました。
車両の2.7mしかない幅の中に60cmの通路を設け、壁や窓の厚さを差し引くと、客室には1.9mしか残されていません。その中にベッドを2つ置き、シャワールームや洗面台を配置します。1mm単位の取り合いを調整し、デザインしていくのです。
まず平面レイアウトを決めて、人やカートの動線を検討します。次に、空調や照明器具、配線にも配慮し、床・壁・天井の収まりを含めた空間を計画。最後に、お客様が触れる椅子やファブリックなどを決定していきました。
これまでの特急と大きく異なるのは食の提供でした。料理の種類を検討し、どれだけの皿とカトラリーが必要か、そのための収納空間はどれだけの大きさが必要かを算出するなど、サービスから設備の規模、インテリアサイズを規定していくことも必要でした。これが膨大な数にわたるのですが、これを一人で検討しなくてはいけません。自分で確信を持って一つ一つのことを自分で考えて寸法を決め、自分で元図を描きました。照明器具も含めて手書きの図面をスキャナで読み込んでCAD化していったのです。このため、中で使っている照明器具をはじめ、取っ手やつまみまで、ほぼすべてが特注のオリジナル品です。
今回の空間は一見クラシックに見えますが、目に見えない部分は先端技術で設計され製造されています。多くの人が望んでいるのはコンピュータ技術が前面に出た空間ではありません。懐かしい優しい空間を最先端の技術が支える...それを、ななつ星は実現できたと思います。お客様はその手間暇をかけた空間に込められた、ディテールを発見することが楽しいのです。
経済性と利便性と合理性を追求すると、シンプルでモダンな真っ白い空間になりますが人はそれを望んでいないと思います。歳を取れば、手間暇かかった優しいものが欲しくなるのです。今回は、私が子供の頃から感じ、触れてきた、和の空間や情景をどこまで入れ込むかが勝負だと考え、デザインを進めていきました。
列車には大きさの制約があるため、ベッドは幅73cmしかありません。しかし、JR九州の唐池社長(当時)が寝て、「水戸岡さん、結構広いじゃない」と仰いました。そう思うくらい、空間に手間暇かけ、しっかりとデザインしています。人が感じる広さは、サイズだけではありません。豪華ヨットに乗って狭いという人はいません。それは空間の密度が高いために満足度が高いからです。空間は大きさだけではありません。量ではなく、質が大事なのです。現在では、空間を評価する際に天井の高さや広さに着目しがちですが、そうではありません。茶室のようにコンパクトで夢のある空間に、光の入れ方や生活の仕方を提案することが重要で、それだけで、楽しさと心地良さはコンパクトに納まるのです。
①②③クルーズトレイン『アラウンド・ザ・九州』として、『ななつ星』に至る過程でのデザイン。
初期の頃は、ロフト構造という大胆なアイデアだった。 画象提供: ドーンデザイン研究所
『あと1%だけ、やってみよう 私の仕事哲学』(発行:集英社インターナショナル)より引用
総合的で創造的な計画をすることだと考えています。デザインは公共のためにと言うのが私の考え方で、デザイナーは公僕であれというのが私たちの事務所の信念です。いかにデザインするかとは、いかに生きるかと同じで、何をどうするかを考えることは、すべてデザインにつながります。自分をいかにデザインするか、これはとてもむずかしいことですが、これと仕事が一致しないと、人は豊かになれません。
生きるためには当然、日常の仕事や利益も大切です。しかし、日々の仕事とは別に、公共に貢献し、次の世代のために何ができるかを考えないといけません。そのためには、気力・体力・智力の、どれが欠けてもいけません。そして、勉強も必要です。基礎には哲学があり、その上に歴史学、最後に経済学があります。3つがバランス良く使われないと多くの人を幸せにはできないのです。
選択肢に迷った時、それが子供たちと次の世代のために良いか悪いかで判断します。たとえば、列車の床をプラスチックにするか、木にするかを鉄道会社の人に訊ねると、メンテナンスを考えて、プラスチックを選びます。しかし、子供のためならどちらかと尋ねると、木だと答える人は多いと思います。そこにダブルスタンダードがあり、これが現在の矛盾を生んでいるのです。木を使うためにはコストもかかるし手間もかかります。しかし、子供たちに何を残すかを考えて、JR九州では床に木を使っているのです。JR九州では『キッズプロジェクト』という、子供の目線で鉄道や駅の空間をつくりあげる活動を進めています。これは列車を子供たちのためだけにつくるのではありません、鉄道空間を両親・両祖父母も含めた家族の団らんをつくりだす装置にしようというものです。私たちデザイナーには、子供たちや次の世代に何が残せるかという課題が託されているのかもしれません。