広報誌掲載:2009年6月
ユビキタスという言葉が一般的になり、コンピュータどうしだけでなく、多彩なセンサや端末などもネットワークされようとしている。そのために必要となる膨大なアドレスのためのプロトコル技術(IPv6)の導入も進み、新しいビジネスやサービスも登場してきた。黎明期のインターネット構築に尽力し、ブロードバンドインターネットの標準化や情報通信機器の製品化にも関与され、現在は東京大学で情報通信技術を用いたグリーンキャンパス計画など、街、世界をも含めたユビキタス空間を追求されている江崎氏に、来るべきユビキタス空間はどのように社会を変えていくかをたずねた。
1990年に米国へ客員研究員として派遣され、そこで副大統領アル・ゴア氏が進めていた情報スーパーハイウェイ構想を支えるプロジェクトで次世代インターネットの研究をしていました。1998年には東京大学に入り、産官学共同で推進されたインターネット技術に関する研究開発コンソーシアム『WIDEプロジェクト』に本格的に参加し、次世代インターネットに欠かせないIPv6の研究・開発を進めました。IPv6に関する研究をスタートしたときからめざしていたのは、クルマやテレビなど、それぞれの機器が自由につながって相互コミュニケーションを行い、新しいタウンサービスを創り出すネットワークでした。ユビキタスネットワークを広げる仕事を進めてきたのです。
インターネットはもともと地球全体を覆うものなので、IPv6の研究にあたっても地球全体をカバーし、さまざまな情報をインターネットに上げることを考えていました。同様の視点で、私たちは『LiveE!』というプロジェクトを進めています。これは温度、湿度、気圧、風向、風速、雨量などのセンサを備えた小型気象観測ユニットを数多く配置し、環境に関する情報をオンライン化して共有する試みです。目的のひとつは省エネや環境対策なのですが、同時に効率的なシステムのあり方や気象センサの情報を共有して何ができるかを探っています。昨年夏は東京に多くのゲリラ豪雨がありましたが、この動きをリアルタイムで追跡できたのは東京都内約20カ所に配置した『LiveE!』の気象センサ網だけでした。
環境情報を私たちが共有することは、異常気象や災害対策だけでなく、ビル設備の運用などに利用できます。たとえば、周辺の外気温変動を取り込んでエアコンを最適制御することで、きめ細かな省エネを実現することもできます。さまざまなセンサを相互接続することでビル設備の可能性も広がってくるのです。
ブロードバンド環境が実現し、カメラの映像をネットワーク上で見ることが可能になりました。映像は建物やセキュリティを守る重要なツールです。最近の高層ビルには膨大な数の監視カメラが入って、セキュリティや人のコントロールに利用されています。また、堤防にライブカメラを設置した例もあります。以前は台風などで堤防が決壊しそうな時には、職員が危険を冒して現地で状況確認をしていました。堤防にカメラを置いてネットワークで状況を見ることで、現地に人が行くことなく監視できるようになりました。
また、映像による情報提供として大きなディスプレイを用いたデジタルサイネージ(電子ポスター)が増えてきました。人が持っているRFID(電波による個体認識タグ)を利用すると、その人が必要とする最適な情報を提示することも可能になります。ブロードバンドのネットワークなら、これまでテキストベースであったものから映像へ、さらに2Dから3Dへ、より高精細でよりわかりやすいインターフェースが提供できるようになるのです。
映像は新しい可能性も秘めています。セキュリティには、監視カメラが一般的ですが、プライバシーを考え、人の在不在を知るだけなら赤外線センサも適しているかもしれません。赤外線だと温度のあるところだけを検出するので、人の動きを判断するセンサとして利用できます。
映像をデータ通信に利用する研究も進んでいます。可視光通信をテレビに組み込むと、人には普通の映像に見えていても、画像と同時に埋め込んだ映像をデータを携帯端末などに表示できます。これも、個人データと組み合わせることで、見ている人ごとに最適な情報を届けることが可能です。このように、ユビキタスネットワークにつながる情報に映像が加わると、より可能性が広がると思います。
住居空間やオフィス空間のオープン化と高機能化をインターネット技術を使って進めるにあたり、『省エネ』が大きな課題であり目的にもなっています。このため、2005年に、空調、照明、セキュリティの相互接続をめざす組織体を考え、実験室レベルで接続実験をしていました。当時、省エネに関する私の講演を聴いておられた東大工学部長(松本洋一郎教授)からお話しがありました。工学部2号館が非常に電力を消費しているので『このビルで省エネを実現してほしい』とのことでした。『ここを実験場として新しい技術を作る場にできるなら』と、お受けしました。 翌2008年6月には、 オープンネットワークやセンサ技術を用いて、省エネに関する要素技術と運用技術、施工も含めた産学連携の共同研究である『グリーン東大工学部プロジェクト』を結成しました。私たちがステークホルダーと呼んでいる、建物や設備に関係している人たち、東京大学や東京都、設計事務所、ゼネコン、サブコン、システムインテグレータ、ベンダー、標準化を行う日本電気設備学会などが集まって最適な解を見つけようとしています。
照明器具や空調機器など、ビル設備のサブシステムは制約があって独自技術を採用しています。現在は、独自技術で動いているものとインターネットをどのようにつないでいくかを探るところに来ています。そう意味では「ポストIP」と言っても良いでしょう。環境対策と省エネのためにはユビキタスにつながったセンサとシステムが必要で、それらが協調して動き、相乗効果を発揮することで、より高度なサービスが提供できるようになります。現段階でも数多くの収穫があり、2009年度からは本格的な電力モニタリングと省エネ制御を行います。
このプロジェクトは2008年度のグッドデザイン賞をいただきました。グッドデザイン賞は商品だけでなく、よく考えられた事業や施策なども対象になったので、このプロジェクトを選んでいただいたそうです。
グリーン東大プロジェクトを進める課程で、20年後のビルやまちの姿が見えてきました。私たちがしていることは都市デザインそのものです。省エネを極限まで考えると、ビル単体ではなく、キャンパス、まち全体のデザインが必要になります。また、都市全体を考えると、発電や送電などのエネルギーフローから移動手段までをも含めた都市デザインが必要になるのです。
江戸幕府により、江戸というまちが造られたとき、運河や水路を重視して都市計画がなされました。人びとが取水し排水する河川、物流としての運河が最初に計画されました。その運河や河川に沿って江戸という都市が形成されたのです。農業が社会基盤となっていた時代には、田畑にどのように水を引くかが都市設計の骨格でした。それが工業化していく中で、舟運が大きな輸送の手段となり、車社会になると都市デザインの骨格は道路が形成するようになりました。次は何かというと、エネルギーと情報の経路なのです。
現在の電力送電システムは発電所を郊外に置いて、長い送電線で膨大な電力ロスをしながら給電しています。効率的な蓄電方法が開発されていませんし、余った電気を相互に融通するエネルギーネットワークも構築されていません。ビルが新しいエネルギーネットワークにつながり、エネルギーや電気を貯め込む装置がビルの中に組み込まれると、建築や設備も大きく変化するでしょう。
燃料電池や太陽光発電パネルによって必要な場所で発電されるようになると、遠隔地にある巨大な発電所は不要になる可能性があります。燃料電池をガソリンスタンドに設置して蓄電し、電気自動車の充電スタンドにする計画もあります。余剰な夜間電力を蓄電すると、昼間に利用できますし、太陽光発電パネルを使うなら、昼の電力ピークに合わせて設計されている発電システムも、よりコンパクトにできます。
また、電気自動車は大きなインパクトを持っています。現在のクルマが電気自動車になると、ムダに大きいボンネットは不要なので非常に小さくなります。排出ガスも出ないので、家の中に入り、車内は小さな部屋として利用されるかもしれません。クルマのバッテリーはストレージとして利用され、エネルギーネットワークの一端を担う可能性もあります。内燃機関がなくなったクルマが走るようになると、道のあり方が変わるし、住宅やビルも変わります。それがここ20年くらいで革命的に変わると思います。
グリーン東大プロジェクトの話があったときに、総長に報告に行きました。その時言われたのが、『新しい産業を作ってほしい』という言葉でした。省エネは大きなテーマですが、それを追求する中で新しいビジネスや産業の芽が見えてくるはずだと言われました。
グリーン東大プロジェクトが掲げた目的は、省エネ技術の研究開発です。しかし、本当に期待しているのは、その課程で実現されるユビキタス情報インフラの構築により、人と社会の活動効率を高めるとともに、新しい産業を興して発展させるところにあります。その結果として、省エネや環境対策が実現できることをめざしているのです。
ユビキタスネットワークを社会が自由に利用することで、新しいビジネスが創り出されます。インターネットは必要があったので世界中のコンピュータがつながりました。そのネットワークを皆が自由に利用することでグローバルビジネスが可能になりました。グリーン東大プロジェクトでの収穫はユビキタスな情報インフラを構築し、共有できることだと思います。このインフラを利用して、新しい世界や社会をともにデザインしていきたいと考えています。