藤井聡 氏

レジリエンス(強靱性)が豊饒(ほうじょう)で多様な未来を創出する 藤井聡 氏 Fujii Satoshi

広報誌掲載:2015年5月

現在の日本経済の最大のリスクは、近い将来に確実に起こると言われている首都直下地震や東海・南海・東南海地震で、その被害額は数百兆円に達すると指摘されている。

また、高度経済成長期に整備されたわが国のインフラは急速に老朽化を迎え、経済活動が機能不全を起こすことが危惧されている。一方、適切な防災・減災投資を行えば経済損失を回避するとともに経済成長にも寄与するとも言われる。京都大学大学院教授であり、内閣官房参与として公共政策の提言を行う藤井聡氏に日本経済成長を導く「強靱性=レジリエンスの獲得」についてたずねた。

公共政策論の立場から社会政策に対して提言「公共事業が日本を救う」などを執筆されていますが、土木工学を専門とされているのですか。

私の専攻は都市社会工学ですが、広くいえば公共政策論。主に公共政策で具体的な提案を行うことを見据えながら、必要な学問を研究しています。広い意味での土木工学という中には、インフラ政策や土木政策というものがあります。土木とはそもそも私たちの住環境を作る取り組みですから、環境を作る政策は広く土木政策ともいえます。土木政策といえばハードなものを想像されがちですが、私はその中でも、国土計画や経済政策などを初めとした公共政策に関する実践的人文社会科学全般を専門としています。内閣では防災・減災ニューディールを担当し、国土計画・都市計画、経済政策などの社会政策に対して提言しています。

2011年3月11日の東日本大震災の際には12日後の参議院予算委員会の公聴会で「日本復興計画」を公述しました。この計画は二部構成となっており、前半が「東日本復活五年計画」で、後半が「列島強靱化十年計画」です。この内容をさらに肉付けしてまとめたのが「列島強靱化論」です。この本には東日本復活のためのビジョンと具体的指針、それと来たるべき南海トラフと首都直下地震に対する強靱化を確保するための10年間のビジョンを記しました。ここには、被災者への負担を増す増税反対論やTPP反対論も展開しています。大規模金融緩和、大規模財政出動、デフレ脱却をベースとした東日本復活ビジョンと国土強靱化論を訴えました。

日本が持つ強靱化への期待を十年計画に込める強靱化が意味するものは何ですか。

日本はこれまでも、石油ショックの後には世界一の「省エネ大国」になり、阪神淡路大震災の後には耐震研究が驚くほど進んで、耐震技術も世界一になるなど、災害をバネに発展を遂げてきました。これらの歴史的事実は、日本にはさまざまな外的なショックに対する驚くべき対応力があることを意味しています。このような力こそがレジリエンスと呼ばれるものです。私たちの周囲には大小さまざまな危機が潜んでいます。生物に例えると、生育する環境の下で、病気にかかるリスク、他の生物に捕食されるリスクなどがあり、ほとんどの生命は寿命を全うすることができません。ところが、危機に直面しても乗り越える力を持っている個体は長く生き残ることができるのです。

レジリエンスとは強靱さを意味するもので、言い換えれば「しなやかさ」ということもできます。けっして強い力には折れてしまう丸太棒のような頑丈さではなく、柳のようなしなやかな強靱さです。レジリエンスとは、どんな危機に遭遇しても致命傷を受けない、その危機による被害を最小化する、受けた被害を迅速に回復させる能力なのです。

このような思いを強くして、私は国を救い得る強靱さを手に入れるために必要な施策を、強靱化十年計画に加えました。

万一を想定した「非常階段」を備えていないビルはないその当時はインフラ整備への風当たりも強かったのではありませんか。

一時期「コンクリートから人へ」というスローガンのもとで事業仕分けが進められたように、道路などのインフラ整備は無駄だという風潮がありました。しかし、それは間違っています。インフラ政策とは、作ることだけではなく環境を整えることを言っているのですから、作ったものは維持管理する必要があります。前近代から近代にかけて、生活や産業に必要なために、苦労をして道路を造り、川に橋を架けてきましたが、これはインフラ政策の一面でしか過ぎません。土木と聞くと良いイメージを持たない人もいますが、古代中国・前漢の頃から「築土工木」という概念がありました。これには造るだけでななく、維持管理を行い老朽化すれば改修することも含んでいるのです。

また、道路を何本も造るのは無駄だという意見もありますが、平時だけしか見なければ複数の道路は無駄だと思えるでしょう。しかし、災害によって道路が破断する可能性もあり、迂回する道路がないと生死を分けることにもなります。非常階段を造らないビルはありません。これは有事があることを認識しているからです。ところが、国土に関しては有事を想定することなく、道路が無駄だと言うのです。貧しい国なら道路や鉄道が1本しか通せず、あとは自然被害がないことを祈るしかない、というのは仕方ありません。しかし、日本はそこまで貧乏ではありません。経済的余力もあるのに、有事のための二重化や三重化が不要だとは言えないと思います。

二重化は強靱性を生み多様化と豊饒性を生むそれは国土にも言えるのでしょうか。

二重化されていない最たるものは日本の首都である東京です。東京は昔から一極集中の弊害が指摘されているものの、改善されるどころか、より集積を増しています。日本では首都機能を他の都市に分散するのは、ムダでもったいない、二重行政だということになってしまいます。「強靱な国土構造」とは、地震や津波が起きそうなところの機能をより被害が小さそうなところに移転させていくことです。つまり分散型の国土を造っていくことなのです。

自然界は二重で成り立っています。人体に肺や目、耳などが二つあるのは、理由があるのです。進化の過程で、ある程度余力ができれば二重化し、多様性を確保してきました。それが強靱性を生み出していきます。強靱性とは多様性(ダイバーシティ)を意味しており、さらには豊饒性につながるのです。そこには画一的ではない社会の豊かさも生まれてくると思います。

エネルギーに関しても多様化が必要です。電気のネットワークが潰れたらガス、ガスが潰れたら電気というように、エネルギー供給システムには二重化・三重化のシステムが求められます。電気自体も発電所や配電網を分散することが重要ですし、スマートグリッドなども必要でしょう。しかし全ての発電所を中小規模にして分散させる必要はありません。日本の社会経済状況を見ると巨大な発電所も必要です。その場合は、筐体を強固にしておく必要があります。たとえば大脳は一つしかありません。それは、あらゆる情報を高度に処理する場所は一つでないと効率が悪いからです。しかし、ここを損傷すると死んでしまいます。そのために自然は頭蓋骨を造りました。私たちも自然に学んで、重要なものを集積・集中する場合は、とても強固にしておくことが必要だと思います。

地方創生や地方活性化は地方強靱化と同じ概念地域活性化についてお聞かせください。

地域コミュニティの活性化は強靱化の要の一つです。地域住民の互いの助け合いは社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)そのものです。そういうコミュニティがなければ非常に脆弱ですから、救援もできないし回復も困難です。地方の活性化と強靱化は同じ概念なのです。活性化している奴とは元気な奴です、これは多少風が吹こうが雨が降ろうがびくともせずに進んでいく奴です。活性化するとは強靱化することなのです。行政上の強靱化が対象としているのは地震・津波・火山・洪水などですが、それは最大級の災害であって、地方には日々数多くの小さなリスクが発生しています。大きいことだけについて国土強靱化と言っているのですが、小さなリスクをマネジメントできることを活性化というのです。

活性化の度合いは自分の人生を見通す長さに影響します。活性化していないと長期の計画も立てられず、成長もできません。これから10年ないし20年以内に高い確率で東南海地震などの巨大地震が来ますから、強靱化できない地域はその災害で壊滅的な被害を被ってしまいます。長期的に見ると強靱化することは地域経済の成長を意味します。同時に、強靱化の取り組みを行うと、それ自体が内需拡大にもつながりますし、防災・減災の技術も蓄えられるのです。

アンブレラ計画のもとソフト・ハードの両面から推進国土強靱化はどのように進められているのでしょうか。

施策としては、2013年12月に強靱な国土・経済社会システムを構築する「国土強靱化基本法」を施行。2014年6月には「国土強靱化基本計画」が閣議決定され、「強さ」と「しなやかさ」を持った安全・安心な国土・地域・経済社会に向けた「国土強靱化」をハード・ソフトの両面から推進しています。また、この推進は有事だけでなく平時にも有効活用されることにより、結果として国の経済成長にもつながります。国土強靱化基本計画は国のあらゆる政策に関係し、防災、教育、エネルギー、環境、社会資本整備など、全ての国の基本計画の指針であり、それらの上位に位置づけられます。また、国土強靱化に係わる都道府県・市町村においても「国土強靱化地域計画」として、地域のあらゆる計画の上位に位置づけられ、国においても地域においても、いわゆる「アンブレラ計画」としての性格を持っています。

すなわち、地域強靱化計画が手引きとなり、地方公共団体の各種計画などを国土強靱化の観点から見直しをし、これらを通じて必要な施策を具体化していこうとしているのです。

地域強靱化計画のアンブレラのイメージ

壁の向こうのリスクを直視する「正気」を育む私たち個人は強靱化にどのように取り組めば良いのでしょうか。

強靱化というのは現実を直視できる「正気」を取り戻すことです。

現実には、平常な状態だけでなく危機というリスクも含まれています。何でも「大丈夫だ」と思って現実を直視することを忘れ、リスクを無視する態度は「狂気」といえるもので、それが脆弱性を生み出します。正気であれば危機への対応もできます。そういう意味では強靱化というのは「正気化」とも言えるのです。

文明を持つまでの人類は強靱でした、環境変化やリスクを肌で感じて危機を無視しなかったので進化を遂げたのです。人類が道具を使うようになると、リスクを無視するようになっていきました。住宅や道具によって自らを守ることにより疑似平和を手に入れるようになったからです。安全性を確保すればするほど、壁の外にあるリスクを忘れてしまうのです。人類は進歩とともに「正気」を失っていったのです。しかし、壁の後ろにあるリスクは、遅かれ早かれ壁を乗り越えて、私たちの生身の体を襲います。その時、正気を保っている人間はその壁の後ろにリスクがあることを知っているので、被害を受ける前に逃げることもでき、被害を負っても回復することができます。壁の向こうにあるリスクを知る力があれば強靱なのですが、その後ろにあるものを忘れたときに脆弱になるのです。

近代は、その壁が急激に高くなりました。この100年くらいで人類は隠蔽された力を見抜く力を失ってしまいました。本当の意味で近代文明は深刻な危機を迎えています。わずかなリスクも想像できないくらい正気を失っています。それに対するアンチテーゼを、3.11の津波映像は私たちに突きつけたのです。津波は壁を突き抜けてくるのだ...と。ぜひ、皆さんには「正気」を持って強靱性を獲得し、未来を切り拓いていただきたいと思っています。

壁の向こうのリスクを直視する「正気」を育む
藤井聡 氏
1968年奈良県生まれ。1991年、京都大学工学部土木工学科卒業。1993年、京都大学大学院土木工学専攻修了後、1998年京都大学博士(工学)号取得。東京工業大学大学院教授を経て、現在は京都大学大学院教授ならびに同大学レジリエンス研究ユニット長。
2012年12月、第二次安倍内閣・内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)に任命される。2003年の土木学会論文賞をはじめ受賞多数。著書は「日本破壊論」「列島強靱化論」「救国のレジリエンス」「コンプライアンスが日本を潰す」など。