京都の閑静な住宅街に立地するヴォーリズ設計の洋館。開放的な空間に出窓やステンドグラスなど随所に優美な意匠が施された昭和初期のロマンを感じさせる住まいです。
リビングからサンルームを眺める。天井が2m60cmと高く、大きなガラス窓が開放感をもたらす。右手に見えるピアノは静江夫人のもの。
京都の北白川は、大正から昭和にかけて開発された住宅地で、大学関係者や文化人が好んだ閑静なエリアです。駒井家は京都帝国大学理学部教授、駒井卓博士の自邸として、米国人設計家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって、昭和2年(1927年)に建てられました。
ヴォーリズは、明治・大正・昭和にかけて日本各地で洋館を建築しています。「軽井沢ユニオン教会」「同志社大学」「大丸心斎橋店」など大規模な建物とともに、数多くの個人住宅にも取り組んでおり、駒井家もヴォーリズ円熟期の優美なデザインの一つとして評されています。
駒井家は、第2次世界大戦後、一時占領軍に接収されていた時期がありますが、昭和47年、48年に夫妻が相次いで亡くなるまで住み続けられました。建築当初の状態がよく保存されていることなどから、平成10年(1998年)に京都市指定有形文化財に指定され、その後、平成14年(2002年)に(財)日本ナショナルトラストに寄贈され、保存修復活動がなされています。
アメリカン・スパニッシュ様式で、切妻屋根に赤色桟瓦を葺き、モルタルのスタッコ仕上げ。窓と煙突の意匠が趣を添える。
駒井家の900m2の敷地は、西側に白川疎水が流れ、東に比叡山を一望できます。約100m2の木造モルタル2階建ての洋館は、当時アメリカで流行していたアメリカン・スパニッシュ様式。屋根は切妻の赤色桟瓦葺きで、外から眺めると、アーチ型の窓枠の玄関ポーチや丸窓などが目に付きます。
玄関からホールを抜けると、広々としたリビングです。暖炉は設けず、代わりに3、4人がゆったりとかけられるベンチが設けられ、団らんの中心的な役割を演じます。リビングの南側のこじんまりしたサンルーム、北側のダイニングは、開け放すと一続きの大広間となり、もてなしの場ともなりました。
玄関ホールの右奥の和室。床の間や地袋など本格的な設え。上げ下げ窓の内側に障子を付け、和空間を違和感なく融合させる。
玄関ポーチ。装飾性の高いアーチ型の窓や弧状の手すり、ポーチライトが華やかは印象。
サンルームの隣の6畳の和室は、床の間や付け書院風の地袋が設けられており、和洋折衷の落ち着いた空間となっています。 玄関脇の階段は優雅な手すりのカーブが特徴で、2階へ上がると、寝室、博士の書斎、比叡山を眺めるサンルームが配置されています。
2階の寝室からサンルームを見る。サンルームは床から全面ガラス窓で、比叡山と大文字が一望できる。
2階南西に面した、駒井博士の書斎。造り付けの書架のほかに、クリスチャンらしく聖画の置かれた小さなニッチが設けられている。
ヴォーリズの設計は、意匠だけでなく衛生や健康にも配慮していたため、部屋は開口部が大きく、日当たりや風通しも十分に考慮された快適な空間となっています。
1階は天井高が2m60cm、2階も2m40cmあり、いずれの部屋もゆとりを感じさせます。ダイニングに続くキッチンは、東向きの窓からの採光と、白の内装で明るさを保ち、給排水や作業能率に配慮したシステムキッチンになっています。
窓の形や格子のデザインはどれも美しく、階段脇のステンドグラスや、玄関ドア、サンルームのアーチ状飾り窓が華やかな印象を与えます。ドアの意匠も統一されています。1階のドアの握り部分は、舶来のクリスタルのノブで、透明な素材感と触感へのこだわりが感じられます。キッチンの戸棚のノブも同じ材質のもので統一されています。
玄関に続くドアに紫、それ以外のドアには透明のクリスタルが用いられる。
優美な曲線を描く階段の手すり。ヴォーリズが好んで取り入れたステンドグラスが荘厳な印象。
収納は、寝室のクローゼットや階段脇の物置など、必要な場所に設けられています。さらに、屋根裏を物置にするために、廊下天井に手動で降りてくる階段が隠されているなどアイデアに驚かされます。
主な生活の場となるリビングダイニング、来客用のスペース、プライベート空間である2階と緩やかにゾーニングされ、1、2階それぞれにトイレが設けられています。2階の寝室ドアは右内開きになっており、寝室のベッドが廊下からの視線に直接さらされないように配慮されています。 駒井夫妻が晩年まで愛着を持ってここで過ごせたのは、このように随所に快適に暮らせる工夫が施されていたからでしょう。
取材協力:財団法人 日本ナショナルトラスト(駒井家住宅は一般公開されています。)
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