住まいは文化

一覧へ
2008年10月17日更新

先人たちが遺してくれた住まいづくりの知恵 「住まいは文化」

群馬県高崎市 レーモンド設計の家 旧井上房一郎邸

日本の風土と合理を愛したレーモンド設計の住まい


それぞれの画像をクリックすると別ウィンドウで大きな画像が表示されます。

群馬県高崎市美術館の裏手に実業家が自邸として建てた、モダニズム建築家の貴重な写し住宅です。現在は「高崎哲学堂」として市民の貴重な交流・活動の場になっています。

居間
むき出しの柱、梁、鉄板製暖炉、暖房用ダクト、ラワンベニヤをそのまま使った壁などレーモンド邸と同じ構成で再現されている。窓を開けると、外と一体となる空間に。

日本のモダニズム建築に影響を与えた
レーモンド自邸の貴重な写し住宅

ブルーノ・タウトを招き、群馬交響楽団の創設に力を尽くすなど、文化活動に大きな足跡を残した高崎市出身の実業家、井上房一郎氏(1898−1993年)が1952年、高崎市美術館の裏手に自邸として建てた平屋住宅です。
現在は、「高崎哲学堂」として市民の貴重な交流・活動の場となっています。

親交のあったチェコ生まれの建築家、アントニン・レーモンド(※)が東京・麻布に建てた住宅に強く感銘を受けた井上氏が、レーモンドから許しを得て実測。それを基に焼失した自邸を再建しました。原設計レーモンド、実施設計井上とも言うべき、両者の建築的な意図と表現が美しく融合した住宅です。

北側アプローチからの眺め。正面が玄関。左側の高くなっている部分が、居間の高窓。暗くなると障子から洩れる居間のあかりが美しい。


設計者の住まいを体感できる
貴重な空間

麻布のレーモンド邸は、住居と事務所から構成されましたが、井上邸は住居のみで構成されています。パティオと居間、台所の位置関係も東西を逆転しています。また夫人のために新たに畳の部屋を設けています。

レーモンド邸にはなかった和室は、井上氏の奥様が茶人であったので、取り入れた。

寝室 
左手の外はパティオ。右手にはソファベッドを配置。レーモンド邸と同じ家具を使用している。

プールのあった庭も竹と石灯篭の和風庭園に、「靴ばき」だった生活様式も絨毯を敷いての和式に変えています。

しかし、柱筋が外壁からずらされた平面計画や、柱や垂木を二つ割りの丸太で挟み込む「鋏み状トラス」を用いた構法など、井上邸はレーモンドの住宅建築の特徴が随所に表されており、設計者の住まいを体験できる貴重な空間となっています。

杉の丸柱と二つ割りにした丸太の方杖で梁を支えている構造は、レーモンド建築の特徴とも言える。

鋏み状トラス


和室(8畳)と寝室。


骨太の空間構成で内と外の空間を一体化。
家具も夫人がデザイン

井上邸は、石畳のアプローチから玄関に入ると、ガラス戸越しにパーゴラのあるパティオを通して庭が臨め、家全体の奥行きと開放感が一体となって伝わってきます。居間には北側の高窓から光が差し込み、南面の障子とガラス戸を開け放つことで、居間から庭へと内部−外部の空間が連なり、開放的なサロンとなっています。

空間は「鋏み状トラス」と小屋裏がそれぞれ直接露出するあらわしで構成され、コンクリート床、居間中央の鉄板製暖炉、露出のダクトと全体に力強い印象を形作っています。

居間にある椅子は、ハウス・ウェグナーのYチェア。暖炉、カウンターなどは、夫人のノエミ・レーモンドがデザインしています。

レーモンド、レーモンド夫人がデザインした家具、照明などが配置されている。



(※)アントニン・レーモンド(Antonin Raymond) フランク・ロイド・ライトのもとで学び、ライトが帝国ホテルの建設の際に来日。その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残し、日本の建築家に大きな影響を与えた。主な作品に、東京女子大学総合計画(東京・杉並区、1921年)、霊南坂の家(東京・港区、1923年)、夏の家(長野・軽井沢町、1933年/移築後ペイネ美術館)、群馬音楽センター(群馬・高崎市、1958年)など。

パティオ。プラスチックの屋根は後付された。椅子はブルーノ・タウトのデザイン。隣の居間の力強さを押し付けから救っている。


※旧井上邸は、財団法人高崎哲学堂が所有管理し、一般公開されています。
メールでのお問い合わせ

ソリューションに関する営業お問い合わせは、お問い合わせフォームからお願いします。

PAGETOP