先人たちが遺してくれた住まいづくりの知恵 「住まいは文化」
日本の風土と合理を愛したレーモンド設計の住まい
群馬県高崎市美術館の裏手に実業家が自邸として建てた、モダニズム建築家の貴重な写し住宅です。現在は「高崎哲学堂」として市民の貴重な交流・活動の場になっています。
居間
むき出しの柱、梁、鉄板製暖炉、暖房用ダクト、ラワンベニヤをそのまま使った壁などレーモンド邸と同じ構成で再現されている。窓を開けると、外と一体となる空間に。
ブルーノ・タウトを招き、群馬交響楽団の創設に力を尽くすなど、文化活動に大きな足跡を残した高崎市出身の実業家、井上房一郎氏(1898−1993年)が1952年、高崎市美術館の裏手に自邸として建てた平屋住宅です。
現在は、「高崎哲学堂」として市民の貴重な交流・活動の場となっています。
親交のあったチェコ生まれの建築家、アントニン・レーモンド(※)が東京・麻布に建てた住宅に強く感銘を受けた井上氏が、レーモンドから許しを得て実測。それを基に焼失した自邸を再建しました。原設計レーモンド、実施設計井上とも言うべき、両者の建築的な意図と表現が美しく融合した住宅です。
北側アプローチからの眺め。正面が玄関。左側の高くなっている部分が、居間の高窓。暗くなると障子から洩れる居間のあかりが美しい。
麻布のレーモンド邸は、住居と事務所から構成されましたが、井上邸は住居のみで構成されています。パティオと居間、台所の位置関係も東西を逆転しています。また夫人のために新たに畳の部屋を設けています。
レーモンド邸にはなかった和室は、井上氏の奥様が茶人であったので、取り入れた。
寝室
左手の外はパティオ。右手にはソファベッドを配置。レーモンド邸と同じ家具を使用している。
プールのあった庭も竹と石灯篭の和風庭園に、「靴ばき」だった生活様式も絨毯を敷いての和式に変えています。
しかし、柱筋が外壁からずらされた平面計画や、柱や垂木を二つ割りの丸太で挟み込む「鋏み状トラス」を用いた構法など、井上邸はレーモンドの住宅建築の特徴が随所に表されており、設計者の住まいを体験できる貴重な空間となっています。
和室(8畳)と寝室。
井上邸は、石畳のアプローチから玄関に入ると、ガラス戸越しにパーゴラのあるパティオを通して庭が臨め、家全体の奥行きと開放感が一体となって伝わってきます。居間には北側の高窓から光が差し込み、南面の障子とガラス戸を開け放つことで、居間から庭へと内部−外部の空間が連なり、開放的なサロンとなっています。
空間は「鋏み状トラス」と小屋裏がそれぞれ直接露出するあらわしで構成され、コンクリート床、居間中央の鉄板製暖炉、露出のダクトと全体に力強い印象を形作っています。
居間にある椅子は、ハウス・ウェグナーのYチェア。暖炉、カウンターなどは、夫人のノエミ・レーモンドがデザインしています。
レーモンド、レーモンド夫人がデザインした家具、照明などが配置されている。
(※)アントニン・レーモンド(Antonin Raymond) フランク・ロイド・ライトのもとで学び、ライトが帝国ホテルの建設の際に来日。その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残し、日本の建築家に大きな影響を与えた。主な作品に、東京女子大学総合計画(東京・杉並区、1921年)、霊南坂の家(東京・港区、1923年)、夏の家(長野・軽井沢町、1933年/移築後ペイネ美術館)、群馬音楽センター(群馬・高崎市、1958年)など。
パティオ。プラスチックの屋根は後付された。椅子はブルーノ・タウトのデザイン。隣の居間の力強さを押し付けから救っている。
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