住まいは文化

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2010年1月20日更新

先人たちが遺してくれた住まいづくりの知恵 「住まいは文化」

静岡県熱海市 旧日向別邸

ブルーノ・タウトの美意識が息づく別荘


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昭和の初期に別荘として建てられた「旧日向別邸」。日本の近代建築に多大な影響を与えたブルーノ・タウトが地下室の設計を手がけた住宅は随所にその美意識が息づきます。

洋間上段の正面には陳列用のガラス戸棚が備えられ、天井は間接照明を意識した設計になっている。

和・洋が融合したインテリアに
今も残るタウトのこだわり

相模湾を見渡す静岡県・熱海の高台に1935年、貿易商が建てた「旧日向別邸」があります。翌年、建築家ブルーノ・タウトが離れの地下室部分の設計を担当。日本に現存する唯一のタウト建築として知られています。桂離宮など日本の伝統的な建築文化を愛したタウトは、「日本建築の美」を世界に紹介し、日本の近代化にも大きな影響を与えました。


建物全体が工芸品
洋間から日本間へ連続する空間

「旧日向別邸」のある熱海は、大正時代末期から箱根、軽井沢とともに日本最初の別荘地として開発が進み、旧日向別邸はこの時期に建てられた代表的な別荘建築に数えられます。

タウト設計の地下室は、斜面を土留めにした鉄筋コンクリート造の人工地盤に造られ、室内は大きく分けて、社交室、洋間、日本間の3つのゾーンで構成されています。いずれのゾーンからも相模湾を眺望できます。

階段を降りて入る社交室は舞踏室・ピンポン室とも呼ばれ、明るく開放的な空間。隣接する洋間はモダンで華やか、日本間は落ち着いた雰囲気にと空間の趣向を「和」と「洋」に変化させながら、全体の雰囲気を調和させています。

近代和風とも呼ぶべきタウトの表現は、例えば社交室の天井と腰板壁には桐材を使い、上部は淡黄色の漆喰塗りの壁に現れています。

洋間の内壁は、ワインレッドの絹布を用いた織物壁で、深く上品な色合いとガラス窓から通る光が調和して見事です。中央部に位置する階段は、海への眺望を意識して幅広に造られ、ここに座って全面開放の開口部から映画のスクリーンのように相模湾や、初島を眺めることができます。

また、こうしたデザインのテイストがタウトの故郷ドイツに残る旧宅の居間にも似ているとも言われています。

地下室アルコーブの入口。社交室の開放的な空間が広がる。開口部には棕櫚縄(しゅろなわ)で繋ぎ合わせた竹の竪格子がはめられている。

社交室の天井には煤竹(すすたけ)が渡され、多数の白熱電球が竹を編んだ鎖を用いて吊り下げられている。

洋間の階段は色や高さ、角度などが一段ずつ変えられ、端は緩いカーブを描き和室へとつながる。


「桂離宮」をしのばせる伝統的建築と
革新的な日本間の創造

日本間は12畳の書院座敷と上段4畳、北端の5畳半と、地下室の段差を巧みに利用した設計になっており、引き違い襖戸の上部は筬(おさ)欄間となっています。

柱・敷居・鴨居等の造作材は檜材を用いてべんがら色の漆塗りが施されています。天井は色調の濃い神代(じんだい)杉の竿縁天井、壁はうぐいす色の土壁と随所に伝統的な日本建築の要素を採り入れています。

日本間は洋間より一段高く、奥の戸袋や襖など、タウトが影響を受けた「桂離宮」のたたずまいを連想させる造りになっています。日本間も洋間同様、階段に座ったり、畳にくつろいだりして楽しむことが想定され、タウトが提唱した伝統的な日本建築と現代建築の調和の形がここに現れています。

日本間の西側にあるベランダには木製の蔀戸(ししみど)が設置され、床には瓦が敷き詰められている。

12畳の日本間と、裏に設けられた上段の小間座敷。伝統的な書院造りの間取りとなっている。

日本間は洋間同様、段差のある北側を、寸法・形状の違う階段として利用。


●ブルーノ・タウト(1880〜1938)Bruno Taut
ジャポニズム、アールヌーボーを通して日本に関心を持つ。代表的な作品に「鉄の記念塔」「ガラス・パヴィリオン」やブリッツのジードルンク(住宅団地)などがある。1933年来日し、群馬県高崎市に滞在。桂離宮に日本の伝統美を見出し、数寄屋造りが近代建築に通じる近代性を評価。その後多くの日本人建築家に影響を与えた。

※旧日向別邸は、熱海市が所有管理し、一般公開されています。

修復進むドイツのブルーノ・タウト旧宅

タウトの故郷ドイツに残る旧宅の保存活動がお茶の水女子大学名誉教授田中辰明氏により推進。ドイツのブランデンブルグ州により修復が進められる予定。写真はタウト旧宅の居間。旧日向別邸の洋間と色使いや階段などが似ている。

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