「室町時代の建築で、民家として全国で一、二の古さを争う「旧古井家住宅」があります。住宅の長寿命が求められる中で、数百年の風雨に耐え抜く家の造りが関心を集めています。
土間である「にわ」。柱は細く、後世の大黒柱のような太い柱はまだない。建築当初から残る柱は11本と推定。
兵庫県姫路市の山裾に、室町時代末期の建築とされる「旧古井家住宅」があります。現存する民家遺構としては全国で一、二を争う古さとされ、地元では敬意を込めて「千年家」と呼んできました。「千年家」とは、建築年代の正確な記録がないほど古い民家に対する通称をいいます。
旧古井家住宅には、木造軸組、茅葺、入母屋造りなど、伝統的な日本民家の特徴がすでに見られることから、日本の住宅の原型と見ることもできます。寿命が短いと言われてきた木造住宅ですが、旧古井家住宅は、数百年も風雨にさらされながら今でも建築当時の姿を保ち続けています。
低く葺き下ろされた矩勾配(かねこうばい・45度)の屋根は、断熱性に優れ、雨漏りを防ぎ、長持ちする特性がある。棟押さえに七連の鞍形の木が組まれている。
播州平野の北東部、揖保川の支流を見下ろす高台に旧古井家住宅はあります。背後に山を控え、南に開けた高台は風通しがよい上に洪水の危険もなく、集落を見渡す最適の立地条件です。
古文書や随所に残る手斧(ちょうな)仕上げの跡など造りの特徴から、建築は室町時代末期とされ、約450年前に建てられた国内で最も古い民家のひとつと考えられています。
住宅は、東西方向に棟を向けて建つ入母屋造り茅葺の平屋で、規模は正面7間(約13.9m)、側面4間(8.1m)。当時の住宅としては規模が大きく、家の主が豪農であったことがうかがえます。
建物の四方は、ほとんど土壁で塗り込められ、出入口や戸・窓が少ない典型的な山村農家の特徴を残しています。
間取りは、戸口を入って東半分が「にわ」(土間)で、東南の隅には「うまや」があります。西側の居室部分は、正面南側の板敷き部屋「おもて」1室だけで、これを前座敷型と呼びます。背面にある竹のすのこ敷きの「茶の間」「納戸」と合わせた3間取りとなっています。
柱や壁板なども建築当時のまま、「カンナ、ノコギリ」は一切使わない、「はまぐり刃の手斧」で仕上げが残っています。また居室の寸法や柱の配置には畳割への配慮がなく、座敷が普及する前の中世民家の特徴が見られます。
南側の開口部は、谷間からの風が抜けるように配慮されている。
「茶の間」は竹のスノコ敷きで、土間との境の中央の框に沿って「いろり」が築かれている。
栗材を用いた柱はすべて礎石の上に据えられ、上屋の桁下と棟下に1間ごとに並び、3列7本、計21本の柱で上屋の梁を支えています。
座敷や土間の中に独立した柱があるのも簡素で初歩的な技法と言えます。江戸期に入って見られる大黒柱のように特に太い柱はありませんが、柱を繋ぐ太い貫が強度を保つのに役立っています。
煤(すす)で黒く炭化した表面などは、建築当初からの歴史の重みを感じさせます。
旧古井家住宅の存在は、人災天災から家を守り、度々の修繕を重ねてきた住人の努力なしでは語ることができません。しかし、木造住宅でも手入れさえ怠らなければ数百年に渡って保持できることも語っています。現代にサステナブルな住宅が求められる中で、貴重な歴史の証と言えます。
屋根裏は天井がなく、梁や垂木など構造体が見える化粧屋根裏になっている。
「にわ」の中央に梁を支える柱。栗材は木目が詰まっているため、堅くて腐りにくい。
地面が露出したままの「にわ」。古井家は竪穴式住居の流れを汲んでいる。
地盤が固く簡単に平らにできないため、山を切り開いて平地にしている。基礎を組むときに礎石で高さを調節している。
上屋の天井は竹の木舞(竹を編んで面を作る)を敷いている。
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