街を再生する合意を得るために将来の景観が誰にでもわかるようにしたい
徳川家康は江戸に幕府を開いた際、この地を交通の中心とするために日本橋を架け、ここを東海道、中山道など、五街道の起点と制定しました。日本橋は全てのモノが江戸城の前に集まるように綿密に設計された計画都市で、金融、商業、物流、娯楽、文化の中心地として大いに賑わいました。
日本橋に三井越後屋呉服店が誕生してから330年あまり、この地は三井グループと深い関わりの中で発展してきました。
現在、この日本橋地域を活性化し、新たな魅力を創造するプロジェクト「日本橋再生計画」が、三井不動産株式会社を総合ディベロッパーとして進められています。
このプロジェクトは「残しながら、蘇らせながら、創っていく」がコンセプト。商業エリアを再開発することで賑わいを取り戻すための、官民地元が一体となった活動が進んでいます。
日本橋では古くから地域の団体がおられ、日本橋をもり立てる活動をされています。たとえ自社ビルの建て替えであっても、老舗を含めた日本橋地区の多くの人びとの合意が必要だといいます。
ここで、官民一体となった街づくりを進めるには、お互いが理解し合える仕組みが必要でした。