不安な避難生活を経験し、学校の防災機能強化を痛感
東松島市立宮戸(みやと)小学校は、日本三景の一つ松島湾に浮かぶ宮戸島(広さ約7.4m²)で唯一の小学校です。住民の大半がこの学校を出ているため愛着心は強く、児童のいない家庭でも、PTAなどの学校活動に積極的に参加されるそうです。
児童も海の作業を手伝ったり、地引網の体験をしたりと、地域と小学校は固いきずなで結ばれています。
校舎は島のほぼ中央の高台にあることから、東日本大震災では住民の大半約1,000名がここに避難して、津波の難を逃れました。
しかし80mほどしか離れていない陸地と島を結ぶ唯一の橋が壊れ、停電で通信手段も失った宮戸島は孤立。避難した人たちは外部と連絡がつかない中、不安な夜を過ごされました。
それから約2〜4か月間、避難所生活は続きました。他地区の船や自衛隊のヘリコプターなどにより物資の支援は受けることができましたが、ライフラインの復旧は遅れ、島に電気が通じるまで3か月半近くかかりました。こうした経験から、島の人たちも学校関係の方々も、災害に備えた学校設備の必要性を改めて痛感していました。